子どもがくりかえし選ぶ絵本にはヒミツがあった!奥行きのある名作『めっきらもっきら どおんどん』
絵本記事を書いたり、絵本について研究の日々を送る、絵本研究家のてらしまちはるさん。その活動の原点には、小さな頃にお母様から読み聞かせてもらったたくさんの絵本があるそうです。子ども時代の一風変わった、けれど本当はどこにでもある絵本体験を、当時の視点で語ってもらいます。「絵本の楽しさって何?」「読み聞かせているとき、子どもは何を思っているの?」そんな大人の疑問を解く、意外なヒントが満載です!
群を抜いておもしろかった一冊
子どものころ、好きで好きでしょうがない絵本がありました。『めっきらもっきら どおんどん』です。
家の絵本棚にはそれこそ何百冊とあったのに、自然と手が伸びてしまうのはやっぱりこれ。たくさんの絵本のなかでも別格のおもしろさで、二日とあけず母に読んでもらっていた覚えがあります。
『めっきらもっきらどおんどん』
遊ぶ友だちがみつからないかんたは、お宮でへんてこなおばけたちと出会って愉快に遊びますが……。躍動することばと絵が子どもたちを存分に楽しませてくれるファンタジーの絵本。
【読んであげるなら】3歳~
【私が昔読んだ年齢】2歳ごろ~15歳ごろ
なにがそんなにおもしろいの? いまなら、ちゃんと言葉にできます。
理由の1つは「ふしまわし」が抜群にいいこと。「ちんぷく まんぷく あっぺらこの きんぴらこ じょんがら ぴこたこ めっきらもっきら どおんどん」という歌が、いろんな場面に出てきます。
意味不明だけど、リズムがよく、すぐ覚えられるふしぎな言葉。これを口ずさめば、異世界への「切符」を手にした充実感がみなぎるんです。
2つめに「日常と異世界がつながっている」こと。主人公のかんたは、さっきの歌を神社の木の下で歌って、見知らぬおばけの世界へひきこまれます。
家の近所にもありそうな普通の場所から、別のどこかへ連れていかれてしまうかもしれないというおそろしさ−−。怖いだけでなく、どこか甘美でもあるんですよね。これは、何度でも味わいたいもの。
3つめに「おばけと一緒に遊べる」こと。おばけは3人登場し、それぞれに得意な遊びを教えてくれるんです。これがとにかくダイナミック。山を飛び越えるほどのなわとびなんて、もちろん、したことありませんからね。
3つを核に、すみずみまで「楽しい」がちりばめられた絵本。それが『めっきらもっきら どおんどん』なんです。
子どもの私が手放せなかったこの作品は、もちろん今でも大人気。絵本ナビ「みんなの声」のみなさんは、どんな楽しみ方をしているかなと探してみたら、こんな声が見つかりましたよ。
もう全部覚えてしまって、誰かがワンスレーズ唱えはじめると、いつだってどこにいたって絵本の世界に行けます。何回読んでも楽しい、大好きな絵本です。我が家にはたくさん本があるのに、親戚やばあばが家にくると、決まって「あの本見ようや」となります。ばあばまでもが手に取るくらいなので、大人も好きな本なんだなあとしみじみ。我が家の子は3歳の時から飽きることなく読んでいます。
(イヨイヨさん/30代ママ/4歳男児・2歳女児、投稿2019年 ※原文を要約)
うわあ、このお宅、すてきですね! 親戚の人やおばあさんまで、みんなでおばけの世界に出かけられるなんて。
イヨイヨさん宅でもやっぱり、たくさんの本からこの一冊が選ばれているようです。『めっきらもっきら どおんどん』のおもしろさって、やっぱり特別なんでしょうね。
「もっかい読んで!」にこたえてあげて
おもしろい絵本は、何度でも読んでもらいたいのが子どもです。
「好きな本を読んであげるから、もってきてごらん」と子どもに声をかけた時、前に読んだことのある絵本をたずさえてくると、大人はがっかりしがちです。
そんな光景に出くわしたとき、私はムズムズ。「がっかりしないで、一緒に読んであげて〜!」と、彼らの気持ちを代弁したくなってしまいます。
子どもが同じ絵本をくりかえし読んでもらいたがるのは、その作品が本当におもしろいから。さっき挙げた『めっきらもっきら どおんどん』の3点のように、子どもたちはさまざまな要素のいりまじった「おもしろい」を、敏感に感じ取っています。
小さな人の口で説明するには、ちょっと複雑です。でも、その複雑なおもしろさをすんなり受け入れる度量は大人より広いですし、ときには、心のひだの微妙なところをくすぐられることだってあるんですよ。
ファンタジーにひたる効用のひとつは、感情の経験値をゆたかに広げてくれることかもしれませんね。
うちの母は、同じ絵本を何度もっていっても「他のにしよう」といわない人でした。それって本当に、しあわせなことだったと思います。
描かれていない絵が見えたふしぎ
もうひとつ、『めっきらもっきら どおんどん』で思い出したことを書いてみます。
私は1985年の月刊絵本版でこの作品に出会い、2歳ごろから小学校卒業まで母に読んでもらいました。そのあとも中学卒業までは、たびたびひっぱりだして一人で読んで−−。けれど、成長につれてしだいに絵本は遠のき、存在を忘れていきました。
次の再会は、大学2年生ごろ。ひとり暮らしの友人宅に、偶然この絵本を見つけたのでした。その友人が子ども時代に読んだ『めっきらもっきら どおんどん』です。
うわあ、懐かしい。ページをめくって、最初から最後まで読みます。でも、なんとなく違和感があるのです。子どものころに私が読んだのと、どこか違う気がする……。
なんだろう、なんだろうと考えて、やっとわかりました。最後のページに描かれたビー玉が、思い出と違ったのです。
このビー玉は、ページのなかでは脇役的存在です。ふたたび行くことの叶わないおばけの世界に思いをはせる主人公のかんたが、床の上でコロコロともてあそぶ様子が、物語のしめくくりに描かれています。
ページの主役では決してない、そのビー玉のなかに、幼いころの私はたしかに海を見ていました。青い水中を、チョウチョウウオのようなきれいな魚が泳ぎまわっていたのを、はっきり覚えているのです。
でも、それがどこにも見当たらない。
それに、そんな光景が描かれるにしては、ビー玉がちょっと小さすぎるのも妙なんです(直径1〜2ミリ程度の絵ですから)。かんたとおばけが遊ぶ別のシーンには似た絵がありますが、いやいや! このページはこのページで知ってるけど、最後のページにもあったんだよ、見間違いじゃないよ、と思います。狐につままれた気分です。
気になってしょうがなく、当時、帰省の折に実家の『めっきらもっきら どおんどん』を確認しました。こちらも友人宅で見たのと同じだったので、新装版になって変わったということでもないみたいです。
結局、現実にはそんな絵は存在しなかった、とのみこむことにしました。
つかみどころのない話ですよね。でもね、これってきっとよくあること。子どもがイメージの世界にとっぷり浸ると、こういうのって起こり得るんです。
「絵本の世界が美しく閉じる」とイメージは無限に広がる
小さいころの私には、絵に描かれていないものまでも、見えていたんだと思うのです。
文と絵があいまって、想像のきっかけをくれれば、物語の世界の奥行きは子どものなかでどんどん広がっていきます。
大人の読み物でよく「行間を読む」なんてことがいわれますよね。あれを絵本でやる感じです。
私が見たビー玉の海は、ゆらゆらとたゆたっていましたし、魚も動いていました。やっぱり、自分で作った想像の世界なんです。
子どもがこうして奥行きのあるイメージを作れる作品は、物語に矛盾や抜け落ちがないという特徴があります。絵も文も構成も計算されつくして、読んだときに「ここ変じゃない?」というのが見当たりません。
私はこのことを「絵本の世界が美しく閉じる」と呼んでいます。
閉じる、という言葉に、否定的な意味合いはありません。美しく閉じた絵本はむしろ、読んだ人の内側に無限に広がる「イメージの宇宙」を生むことができます。だから、「閉じれば広がる」ともいえます。
『めっきらもっきら どおんどん』も、美しく閉じた絵本のひとつだと私は思うんです。子どものイメージをとめどなく刺激しますから、何度くりかえしたって飽きませんよね。
大人は、子どもがひたるイメージ空間を、目で見ることはできません。その存在に気づかなければ、同じ本を何度も読まされるのが苦痛に思えてしまいます。
けれど反対に、その存在を認めて、何度も根気よく読んでくれる大人のかたわらでは、美しく閉じた絵本は大きな力を発揮します。
数え切れないくらい読んでもらうと、絵も言葉づかいも子どものなかにしみこむのです。
しみこんだ物語は、子ども自身と同化します。やがてその作品だけでなく、多様な本の世界をその子が歩き回る土台になるんですね。
イメージの世界は、どこまでも広くつながっています。絵本の本当の楽しみって、こういうことです。
てらしま ちはる
1983年名古屋市生まれ。絵本研究家、フリーライター。雑誌やウェブ媒体で絵本関連記事の執筆や選書をするかたわら、東京学芸大学大学院で戦後日本の絵本と絵本関連ワークショップについて研究している。『ボローニャてくてく通信』代表。女子美術大学ほかで特別講師も。日本児童文芸家協会正会員。http://terashimachiharu.com/
写真:©渡邊晃子
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