【編集長の気になる1冊】スイッチが見つからない
バッターボックスに入り、素振りを2、3回。
バットを構えてピッチャーを見据える前の数秒前、
息子は少し笑う。
「すごい、○○くん余裕だね」
まわりのお母さんたちは言う。
だけど、私は知っている。
彼は緊張している。緊張していると少し笑うのだ。
そういう時の彼がいい結果を出すかどうか、それは読めない。
決して余裕があるわけでも、相手を威嚇しているわけでもなく。
集中したり、緊張が高まると、なぜか頬が緩むのだ。
そのクセはもちろん相手に通じない時だってあるだろうし、
コーチや監督に誤解されて怒られることだってあるだろう。
でも、私にはわかる。無意識だってことが。
……なぜなら、私もそうだったから。
だからこそ。
それがどんなに真剣な場面だったとしても、
大事な局面を迎える瞬間だったとしても、
息子への声のかけ方を間違えることはないのです。
この絵本に出てくるしゅんくんだって、きっとそう。
こくん
月曜日、大好きなつばさ園にやっと戻ってこれた。
病院でいっぱい練習したから大丈夫。
歩行器があれば、みんなと歩ける。歩くの、大好きだもん。
わたしは、こくん、とうなずいた。
「てつだってやる」
しゅんくんが、さっと手をのばしてきたけど、
「いらない」
私は言う。
金曜日、今日はホールで歌の会。
ステージへの階段3段だって、自分であがる。
わたしは息をすって、こくん、した。
みんなが心配そうに私を見てるけど、しゅんくんがすぐに言う。
「こいつは じぶんで やるんだ。
あたまを こくんって したら、かならず じぶんで やるんだぞ!」
そんなしゅんくんが、ある日竹馬を使ってびわの木に向かっている。
高いところになっている実をとろうとしている。
すごい、しゅんくん。私も憧れていたあの場所へ……のぼりたい!
ガッツンゴツン。
自分ではない、誰かが踏み出す新しい第一歩。
決してスムーズではない、にぶい音を出しながら、まわりをハラハラさせながら、
挑戦する新しい扉。
それが、こんなにも自分の心を感動させるなんて……。
「自分とはちがうだれかに出会うことは、自分と出会いなおすことでもあります」とは、作者の村中李衣さんの言葉。確かに、これは「わたし」の話でありながら、「しゅんくん」の話でもあり。大胆迫力な表現と、繊細な表情の変化を、生き生きとした鉛筆の線で表現してしまう石川えりこさんの絵の魅力も相まって、ぐいぐいとお話の力に惹きこまれていきます。
しゅんくんの「なんだって、できるんだ」という言葉。
そんな風に言えるのは、一緒にその景色を見たからこそ。
知らず知らずのうちに、読者の心の中にも新しい風が吹き始めているようです。
(磯崎園子 絵本ナビ編集長)
相手と気持ちを共有すること、これって意外と難しい。
親だったとしても、よく読み間違えるもの。
だけど、しゅんくんみたいに。
誰かがその「スイッチ」を発見してくれたなら。
あるいは、いつか自分でその「スイッチ」を見つけることができたなら。
息子は、もう一歩前に進んでいくことができるかもしれない。
そして私だって……。
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磯崎 園子(絵本ナビ編集長)
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