五感がはたらく絵本『なつのいちにち』、手描き絵本がデジタルネイティブの子どもたちに必要な理由とは?
絵本研究家のてらしまちはるさんは、子ども時代に自宅の「絵本棚」でたくさんの絵本に出会いました。その数、なんと400冊! 「子どもが絵本を読む目線は、大人の思い込みとはちょっと違う」そうですよ。
すっかり、むし暑くなりましたね。
夏に読みたい絵本といえば、あなたなら、どのタイトルを思い浮かべますか? 私がいちばんに思いつくのは、やっぱりアレ!
『なつのいちにち』です。むわっと暑くて、いろんなにおいがする、この季節の定番ですよね。
じゃあ、どうしてこの絵本を読むと「暑い」とか「においがする」と感じるのでしょう?
その理由を、今日は一緒にひもといてみましょう。
【公表された対象年齢】3歳〜
【私がおすすめしたい人】3歳ごろ〜全年齢
スカッと爽快なパノラマは「ザ・日本の夏」!
『なつのいちにち』では、「ザ・日本の夏」が描かれます。
登場人物は、男の子がたった一人だけ。
この子は虫取り網を手に、どこかへ向かってまっしぐらに走っていきます。「きょうは ぜったい つかまえる。ぼくが ひとりで つかまえる」と唱えながら。
私たちはそれを追いかけて、ページをめくります。すると、うわあ……!
いなか町の風景のパノラマが、広がる、広がる、広がる。
青々とどこまでも横たわる水平線。まっ白なかもめの群れ飛ぶ空。あざやかな光に吸い込まれる田んぼ−−。
まばゆくて広大な景色のなかを、私たちは男の子と一緒に駆け抜けていきます。
もはや私は、爽快なこの広がりにとびこみたくて『なつのいちにち』を開いているようなものです。未体験の方は、ぜひ! 期待をこえて、スカッとさせてくれますよ。
さて、こうして絵本の舞台をひた走るなかで、私たちは「ああ、暑いなあ」とか「お、あのにおいがするぞ」と感じるわけです。
夏のにおい、夏の音に包まれる
でも、実際のところ、絵本には温度もにおいもほとんどありませんよね。ただの紙ですから、まあ、当たり前です。
じゃあ、絵本からそれらを感じるのは、なぜでしょうか?
それは、私たちが絵本の絵や言葉をきっかけに、自分のなかの記憶を呼び覚ましているからです。
いつかの夏に経験した、あのにおいや、あの音。
心の奥底に眠るそれらを思い出して、絵本の風景にシンクロさせているのです。
作者のはたこうしろうは、まさにこれをねらって本書を作ったようです。
刊行によせたメッセージのなかで、はたはこう言っています。
「この本には、少ししか文章がありません。あっという間に読めてしまいます。でも、絵と物語をゆっくり追うことで、それぞれの人が知っている『夏の音』や『夏の匂い』、『夏の空気』を感じてもらえたらいいなと思います」。
私たち、作者の術中にみごとにはまったものですね(笑)。絵本を開けば、音やにおい、空気に包みこまれてしまうんですから。
すばらしい技量に、感服です。そして、こうも思うのです。
ああ、やっぱり絵が、記憶をさそい出すかぎなんだなあ、と。
ただの紙から、においや音が思い浮かぶわけは?
『なつのいちにち』を前にして、私たちは、においや音などの記憶を呼びさまされます。
それは、五感を刺激する「装置」が、絵にふんだんにしかけられているからです。
なかでも「手で描かれた」絵であることは、大きな役割をになっているでしょう。
よくわかる例があるので、まずは観察してみましょう。
男の子が駆け抜けていく脇で、まっ黒な牛がアップになったページがあります。ここを開いてみてください。
牛の、顔の部分をよーく見てみましょう。どんな描き方がされているでしょうか?
ぱっと見ただけでは、黒一色で塗りつぶされたように思えますが、まじまじと観察するとそうではないですね。筆の運び跡が、印刷になっても残っているのがわかりますか?
この筆跡が「装置」です。
じっと見ていると、これ、なんだか本物の牛の毛並みのように見えてきます。
そうそう、牛の体表ってちょうどこんな感じ。短い毛が流れをもって生えていますよね。
こんなふうに、いつかどこかで私たちが出会った情景を、絵の上の微細な筆づかいが、心の表面にひっぱりだしてくれるのです。
絵本のそこここで、この「装置」が私たちに働きかけてくれています。だから、実際には存在しないはずの暑さやにおいを感じるのでしょう。
もしも牛が、パソコン作業によって濃淡なく塗りつぶされていたら、こういう反応は起きなかったと思うのです。
手描きの絵は、子どもにどんなメリットが?
デジタル全盛の現代ですが、いまもたくさんの絵本作家たちがあえて手描きを選び、すぐれた絵本の数々を生み出しています。
そうした作品は『なつのいちにち』のように、読む人の五感に多様にはたらきかけてくれます。
子どもにはこんな手描きの絵本の存在が、けっこう重要です。
理由のひとつに、遊びとして満足いくから、というのがあります。
たとえばページの片隅に、画材でうすく紙をなぞった跡がそのまま印刷されていたとします。たったそれだけのことから、子どもは想像遊びをはじめます。
「ざらざらしてる」とか「ちょっとひんやりしそう」とかをイメージしたり、いままで出会ってきたそういう質感のものを思い返したりします。それ自体が、もう立派な遊びなのです。
砂場でいつまでも砂の感触を味わったり、蛇口から出る水滴をさわりつづけたりするように、イメージのなかで、触覚や聴覚、視覚の思い出をころがします。
こういった遊びは、一人でページを眺めるときにも、大人に絵本を読んでもらうときにも、していた覚えが私にはあります。
特に、なんども読んでもらっている絵本なら、頻度は高かったですね。あらすじを覚えているので、脇を見る余裕があるといいますか……(笑)。
大人からすれば、一見、せっかく読んであげているのにストーリーに集中していないようで、残念に思う人もいるかもしれませんね。けれど、それは大きな誤解です。
こんな脇道の遊びこそ、絵本のイメージがゆたかにふくらむ格好の材料になりますから。
実際、子どものころの私にとっても、遊べるスキのある本だというのはかなり重要で、手描きの絵本を好んで手にとっていたように思います。
反対に、画一的にペッタリと塗られた描き方の絵本は「これ、面白くない」と手放した覚えがあります。3歳ごろのできごとで、具体的な作品名まではっきり覚えています。
人の気配を感じられるというメリット
もうひとつ、子どもにとってのメリットがあります。
それは「だれかと一緒にいる」と感じられることです。
筆跡って、作者が手を動かして作業した跡ですからね。
たとえ画面にその人自身が登場していなくても、息づかいを絵から感じて、とても安心するのです。
幼い人の育ちにとって、寄り添ってくれるだれかの存在は、大きな意味をもちます。世の中に足場を築く、よりどころです。
もちろん親は、よりどころとして絶大ですが、それ以外の小さな支えだってあってほしいところ。
画面の向こうにいつでも作者を感じられる絵本は、れっきとした候補になってくれます。
いまはデジタル描画の作品にも、手法とテーマがぴったり合致した良作がいくつもあります。
一方で、人の手で描かれた絵本を基本にすえることは、子どもにとってはやっぱりかわらず、おろそかにできないポイントだと思うのです。
参考URL:偕成社『なつのいちにち』ページ内「著者より」https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784033313405
てらしま ちはる
絵本研究家、フリーライター。絵本編集者を経験したのち、東京学芸大学大学院で戦後日本絵本史、絵本ワークショップを研究。学術論文に「日本における絵本関連ワークショップの先行研究調査」(アートミーツケア学会)がある。日本児童文芸家協会、絵本学会会員。絵本専門士。
写真:©渡邊晃子
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