絵本選びに自信がもてない大人たちへ! 強烈な気づきを体感できる『なずず このっぺ?』
絵本研究家のてらしまちはるさんは、子ども時代に自宅の「絵本棚」でたくさんの絵本に出会いました。その数、なんと400冊! 「子どもが絵本を読む目線は、大人の思い込みとはちょっと違う」そうですよ。
『なずず このっぺ?』という絵本があります。ふしぎなタイトルですね。
この言葉、どういう意味? 文末に「?」がついているから、質問文なのかな??
そう思ってページを繰ると、あらら、疑問はますます迷宮入り(笑)!
最後の最後まで、まるごとぜんぶ、不可解な言葉で書かれているんです。
【公表された対象年齢】子どもから大人まで
【私がおすすめしたい人】赤ちゃんからお年寄りまで
「これ、何語?」ならば、絵を読めばいい
ためしに、中身をのぞいてみると−−。
登場する虫たちが話すせりふは、「なずず このっぺ?」「わっぱど がららん。」「じゃじゃこん!」……。
うーん、ひらがなで書かれているけど、やっぱり聞いたことありません。
これ、何語なんでしょう?
絵本によると「昆虫語」だそうですよ。道理でわからないはずですね。
もしも大人の書籍なら、言葉がわからなければ読み取れません。だから、読書自体をギブアップすることになるでしょう。
でも、これは絵本です。
絵本は、絵と言葉とが融合したメディア。だから、こうなってもやりようがあります。
つまり、絵をヒントに読み進められるということです。
一緒に、やってみましょうか。
画面をまじまじ、子どもの目を体感する気づきのワーク
さあ、表紙を開いて、最初のページです。
地面から、緑色のなにかがぴょこっと出ています。それを茶色の毛虫が見ているという、シンプルな画面。
毛虫はよく見ると、ふさふさした毛がたくさん生えていて、すてきです。足には靴を履いています。
どんな話が始まるんでしょうね。では、次のページへ移りますよ。
おや、さっきの毛虫が切り株に移動しました。なにかをじっと考えてるようにも見えます。
切り株から少し離れたところには、やはり緑色の物体が。でも、最初のページよりも少し背丈が伸びて、形も変わったみたいです。植物の芽かもしれませんね。
この芽を、ウスバカゲロウのような2匹のおしゃれな虫たちがとりまいて、おしゃべりしています。例の昆虫語です。
片方が、芽を指さして「なずず このっぺ?」。それを受けてもう片方は、口に手をあて、小首をかしげて「わっぱど がららん。」ですって。ふむふむ。
昆虫語ですから、言葉の正確な意味はもちろんわかりません。
でも、2匹のしぐさからなんとなく、芽をはじめて見るのかな、なんだろうと話しているのかな、と私は想像しました。
ここでページ全体へ、ちょっと目線をひいてみましょう。
余白の面積が大胆です。そこに、必要十分まで数をしぼられた絵柄が、繊細に描かれています。
眺めていると……、あっ。
絵のなかに、枯れ葉を1枚見つけました。切り株にくっついています。
これが残っているということと、さっきの芽のようなものとをあわせて考えると……。もしかしたらこの場面は、ようやく冬が去って、春のきざしがおとずれる季節のことかもしれないなあ。
私はそう考えました。
−−さて、いかがでしょうか。『なずず このっぺ?』の冒頭の、ほんの2見開き分を、絵の観察によって読んでみました。
物語はこのあと、ぐんぐん伸びる芽(やっぱり植物の芽でした)を中心に進んでいきます。
画面をじっくり見つめて、描かれていないことを想像したり、情報をつなぎあわせて考えたり。
いろんなことを読み取っていくこのやり方、実は、子どもの素直な読みそのものです。
子どもが家で、大人に絵本を読んでもらっているとき。
耳からは、大人の声で文章が入ってきます。同時に目では、こうして絵をつぶさに読み解いているのです。
ツボ獲得で、日々の絵本選びがラクになる
さっきは、ほんのさわりだけを読み解いてみましたが、さて、ここで提案があります。
ある大人の方々に『なずず このっぺ?』という絵本を、ぜひ1冊を通して同じやり方で読んでみてほしいのです。
ある大人とはどんな人かというと、お子さんへの絵本選びに、いつも自信がもてない人です。
子どもにどんな絵本がいいのか、いまいちわからない、とか。
なんとなく与えてはいても、自分はそのおもしろさにまだピンときていないんだよな、とか。
手渡した絵本のウケがさほどよくなくて、一緒に読むことをなかばあきらめてしまっていて……、とか。
そんな悩みを、抱えていませんか? もしもそうなら、いちど試してみてください。
すると人によっては、苦手とすら感じていた絵本選びが、ぐっとラクになる可能性があります。
子どもの絵本への目線を実感することで、彼らがなにを「おもしろい」と感じているか、ツボを理解できるからです。
絵本の醍醐味を実感させる、きわだった一冊
『なずず このっぺ?』の革新的なところ。
それは、ひとたび開けば子どもも大人も、ほとんど同じ目線に立って物語をあじわえるところです。
それには、さっぱりわからない昆虫語の存在が、ひと役買っています。
文章は書かれていても意味不明、というシチュエーションは、一見わずらわしく感じられるかもしれません。
が、これは、言語経験のゆたかな大人と、言語経験の途上にある子どもとの差を、きわめてゼロに近くしてくれます。
大人も、言葉をいったん脇において、絵を読むことに没頭することになるのです。その状況を、ごく自然な流れで生み出す点で、本書はめずらしい作品といえます。
こうなると大人たちは、最初こそ、しかたなしに絵から情報を得ようとするかもしれません。でも、そうするうちに、絵を読むおもしろみがじわじわと体感できるはず。
そのじわじわこそが、絵本の本質的なたのしみです。この醍醐味は、文字だけを追っていてはわかりません。
絵本と一般書籍はつくりがちがう、読み方もちがう
絵を読むということを、ほとんどの子どもはすんなり体得します。
一方で、すでに大人になってから絵本に出会った人などが、この感覚をつかむのは、ときにむずかしいようです。
壁になってしまっているものに、大人の読書のクセがあるでしょう。
私たち大人は、本というと、文字がメインの大人向け書籍を思い浮かべるのがふつうですよね。小説とか、新書のイメージです。
これらの本を読むときに、私たちは文字を追いかけて、内容を理解していきます。
その経験を重ねると、やがてそれはクセになり、「本は文字を追いかけることがすべてである」という頭になります。これはごく一般的なことで、別に悪いこともありません。
ところが、この読み方は、絵本には通用しないんですね。なぜなら絵本は、つくりがまったくちがうからです。
絵本では、言葉の存在と、絵の存在とに優劣がありません。両者がまざりあって、ひとつのイメージ世界を提示します。
そんな絵本を読もうとすれば、大人の本のように文字だけを追いかけていても、作品のよさの半分も感じられないことになります。
へんなたとえかもしれませんが、絵本って和定食みたいなんです。
和定食って、白いごはんをベースに、おみそしる、おつけもの、焼き魚などがあって、それを口中調味(口のなかで味をまぜあわせる)であじわいますよね。
絵本も、絵、言葉、さらにはページめくりなどの物理的な構造や、肉声での読みなどをかけあわせて、それらの総合されたものをあじわいますから。
そこへくると、大人の本は単品料理なのかもしれません。
『なずず このっぺ?』では、言葉という絵本にとっての重要パーツが、あえて十分に機能しない状態で配置されています。
読み手がこの絵本を開いて、「さて、これから絵や言葉を口中調味するぞ」と前のめりになっていても、いい意味の肩すかしをくらうわけです。
でも、わからないひと皿を含んだまま、はしを進めていく。
すると、かえって絵の存在に、いつもより強めのスポットライトがあたり、意識できるようになる。
そんなからくりが、絵本を理解したい大人に、本質を見せてくれるように思います。
てらしま ちはる
絵本研究家、フリーライター。絵本編集者を経験したのち、東京学芸大学大学院で戦後日本絵本史、絵本ワークショップを研究。学術論文に「日本における絵本関連ワークショップの先行研究調査」(アートミーツケア学会)がある。日本児童文芸家協会、絵本学会会員。絵本専門士。
写真:©渡邊晃子
この記事が気に入ったらいいね!しよう ※最近の情報をお届けします |