【編集長の気になる1冊】知らないうちに「たね」をまいている。
子どもの頃、両親は私に楽器を習わせてくれた。だけど音楽の道へは進まず、どちらかというと美術に興味を持ち、今は絵本に関連する仕事をしている。近くにいた兄は、言われずとも自ら音楽を学び、今も仕事にしている。
両親にしてみれば、本当は、音楽でも美術でもなく、もっと違う道へ進む事を思っていたと言う。どうしてこうなっちゃったんだっけ、と。だけど、思い返せば、部屋にはいつも画集や楽譜が転がっていて、父はいつも音楽を流していて、それは本人たちの意図とは関係なく「たね」をまいていたっていう事に間違いはないのです。
これって、ちょっとおもしろい。
自分が親になってみると、気が付きます。好きなたねを植えて、一生懸命育てて、思った通りに花開いていくのはとても楽しい。でも、思わぬところでまいていたたねが、自分の知らないところで育っていっていることもあるらしい、と。
例えば、あかちゃんに対して。
絵本を読んであげようと思っても、どれが好きかなんてわからない。どの絵本を読めば、将来聡明な大人になってくれるかなんて、もちろんわからない。すぐに反応してくれないことだって多い。役に立っているのかな? 喜んでいるのかな? 手ごたえは意外なほど少ない。
だけど、数年経ったある日突然、一冊の絵本を見ながらスラスラと読みだす、ってことがある。そして、その時にやっと気が付くのです。「ああ、あの時、この本を聞いていたんだな」って。いつの間にか芽を育てているものなのです。
そんな風に思えたのは、この絵本の一文を読んだから。
「にんげんだって、しらないうちに 野原に たねを まいています。」
私たちは、いつのまにかそんな素敵なことをやってのけているってこと…?
わたしたちのたねまき
最初に登場するのは、お庭に色々な野菜のたねをまいている親子。
色々な形をしたたねは、やがてカボチャやニンジン、キャベツやマメになります。
そうやって、毎年たねまきを繰り返すのです。
でも、この絵本は言うのです。
私たちは、もっと広くて、大きな庭に、たくさんのたねをまいてきました、と。
どういうことでしょう。
例えば、風。
大きくて強い風が、様々な植物のたねを吹き飛ばし、遠くへ飛ばします。
例えば、太陽。
午後の日の光が、エニシダのさやを温め、乾かし、フライパンの上のポップコーンみたいに、たねが弾け飛びます。
雨も、川も、鳥も。
それぞれの方法でたねを遠くへと運びます。
動物たちは、自分たちが生きていく生活の中で、自らの体や毛皮にくっつけながら、いつのまにかたねたちを違う場所へと運んでいきます。
どんぐりだって…。
知らなかった!こんなにも世界の色々なものが「たねまき」という行動に参加しているなんて。そして、私たち人間だって、知らないうちに。
こうして、地球というひとつの大きな庭がつくられていくのです。なんて美しく、なんて感動的な事実なのでしょう。翻訳をされている梨木香歩さんによるあとがきの言葉も忘れられません。「…一人ぼっちで孤独だな、と感じるときは、自分は本来自分がいる場所から遠く、この辺境に飛ばされてきた種なのだ、と思えば、今生きていることそのものが、重大な任務のように思えます――(あとがきより抜粋)」
(磯崎園子 絵本ナビ編集長)
今だって、正直、息子にどんな「たね」をまいてあげられているのかわからない。だけど、一緒に色々なものを見たり、歩いたり、話したりしていれば、いつか何かが息子の中で芽吹いていくことがあるはずだって思うことができるのです。
磯崎 園子(絵本ナビ編集長)
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