あなたも持ってる?家族の思い出が蘇るタイムカプセル絵本『のえんどうと100にんのこどもたち』
絵本記事を書いたり、絵本について研究の日々を送る、絵本研究家のてらしまちはるさん。その活動の原点には、小さな頃にお母様から読み聞かせてもらったたくさんの絵本があるそうです。子ども時代の一風変わった、けれど本当はどこにでもある絵本体験を、当時の視点で語ってもらいます。「絵本の楽しさって何?」「読み聞かせているとき、子どもは何を思っているの?」そんな大人の疑問を解く、意外なヒントが満載です!
自宅より長い時間をすごした「おばあさんち」
今日は「おばあさんち」の話から始めましょう。おばあさんちというのは、私の母方の祖父母宅です。
名古屋の「いりなか」という地下鉄駅にほど近い、築約100年の古い家。おばあさんとおじいさん、そして曾祖母にあたるばあちゃんが住んでいました。当時の自宅(前回までに登場した、絵本棚のある家です)も古かったですが、こちらは輪をかけて年季が入っていました。
残念ながら、いまはもうありません。でもあのころは、母屋のまわりを花咲く広い庭が囲み、手水鉢には鳥、柿やはっさくが山ほど採れ、砂地をにわとりが行き交って−−。コンクリートに覆われた街なかで、そこだけ時間がとまったようでしたよ。
私たち三姉妹にとって、母の仕事の都合であずけられていたここは、実のところ自分の家よりはるかに「家」でした。
平日はもとより、週末もかなりの時間を過ごしていれば、そうなるのは自然かもしれませんね。車で15分離れた自宅は、夕食と絵本と睡眠の場所。おばあさんちの方には保育園、病院、本屋さんなど、生活に欠かせないものがまとまっていて、「住んでいる」感覚がありました。大人になったいま、故郷というといりなかのこの家を思い出します。
さて、私が5歳だったある日のことです。保育園から戻った私は、おばあさんちの縁側に寝ころがって、持ち帰った絵本を広げました。
すりガラスごしに、午後の日差しがふりそそいでいます。ぬくぬくして、いい気持ち……と感じたのは、大人も一緒だったよう。隣ではおばあさんが洗濯物をたたみながら、ひなたぼっこの最中でした。
ひと仕事終えるとおばあさんは「本もらってきたのかね」と私の手元をのぞきこみました。絵本は『のえんどうと100にんのこどもたち』でした。
のえんどうと100にんのこどもたち
丘の上で生まれた100人のノエンドウ。早く外の世界を見たいと、さやの中で願っていたノエンドウの子どもたちは、ある日いっせいにはじけて外の世界に飛び出します。
【読んであげるなら】3歳~
【私が昔読んだ年齢】5歳
ストーリーはわからない、でも「マルつけ」は楽しい
『のえんどうと100にんのこどもたち』は、のえんどう(カラスノエンドウ)のお母さんが太陽の力をかりて、100人の小さな豆つぶの子を育てる話。子どものすべてを受けとめて見守る、母のやさしさにあふれた一冊です。
一方で、のえんどうのお母さんが自らの死を受け入れる場面も。生きることの宿命を、植物としての生命サイクルにのっとって描いています。
でもね、5歳ではさすがにそこまで読み取れません。この作品を保育園から持って帰ったその日、私が理解していたのは「なんか草の話だね」くらいのこと。ストーリーにはあまりピンときていませんでした。
それより夢中になっていたのは、絵本の文章から「ま」「こ」「と」の3文字を見つけて、えんぴつでマルをつける遊びです。
私の通っていた保育園の名前は「まこと幼児園」。小学校入学を来春にひかえた年長組では、ひらがなに親しむワークとして、園の名前の3文字を絵本の文章からひろう遊びをしていました。登園中に見つけた3文字には、ページに青えんぴつでマルがうってありました。
縁側で絵本を広げたのは、その続きを自分でやろうと思ったから。青えんぴつは家になかったので、普通のえんぴつで書きこみ始めました。
さて、かたわらからのぞきこんだおばあさんは、ストーリーを何気なく追いながら、文字さがし一辺倒の私にしばらくつきあってくれました。
「ふーん、いい話だがね(いい話じゃないの)」「このページ、ひらがなまだあるでしょう(このページには見つけていないひらがながまだあるんじゃないの?)」なんていいながら。
あ、そうそう。私は途中、すごい発見をしたんですよ。
文章のなかに「てらしま」という自分の苗字を見つけたんです。「たいようは まいにち こどもたちを てらしました」。ほら、4文字並んでいるでしょう(笑)? これはもう、5歳児には一大事。すかさず報告です。
「おばあさん! ここに『てらしま』がある! ここ、ここ!」。
おばあさんは、私が何をさわいでいるのか最初はつかめなかったようでした。でも、よくよく絵本をながめて、最後にはちゃんとわかってくれました。
「……あれ、ほんとだね、てらしまだわ。てらしました、だと(あら、本当だね、てらしまだね。てらしました、だって)」。
大発見をわかちあえた当時のうれしさを、私はいまも鮮明に覚えています。
思えば、おばあさんには寝入りばなの昔話をよくしてもらいました。けれど、絵本を一緒にのぞきこんだのは、覚えているかぎりこの一回だけです。
30年後、腑に落ちた
そのおばあさんも、私が高校生のころに他界しました。実は彼女を思い浮かべるとき、私はいままで、ちょっとさびしい気持ちを抱えていました。おばあさんとの思い出の品が、なにもなかったからです。
たとえばその数年後に亡くなったおじいさんや父からは、節目にもらった贈り物がそれぞれありました。どちらも日用品なので、それを使うふとした瞬間に、いまはなき大切な人を思い出すことができます。
おばあさんの存在が、形がないからうすれることはけっしてありませんが、一抹のさびしさはやっぱりあって……。ついこの間までは、心のどこかでそう思っていました。
でも、この記事で『のえんどうと100にんのこどもたち』を取りあげると決まったあと、気持ちに変化があったのです。
先月。私は実家から当時の月刊絵本版をもってきて、ひさしぶりに開きました。
誌面におどる青と黒のえんぴつ書きの意味が、最初はわかりませんでした。何もかも、すっかり忘れていたのです。このマルはなんだっけとじーっと見つめていて、ある瞬間、堰をきってあふれだしたのが先ほどの情景でした。
「あ、おばあさんに会えた」。私はそう感じました。
同時に、あのころはわからなかったストーリーの意味ものみこめました。のえんどうの親が無邪気でおさない次の世代をはぐくみ、バトンをわたす物語だったんだ、と。
おばあさんの隣で、マルつけ遊びに興じていた私。当時の自分も、のえんどうや太陽に見守られたひと粒の豆だったと気づきました。
よさがわかるのはずっと先、タイムカプセル絵本
「おばあさんとのあの時間は、絵本を開けばすぐそこにある」。そう思えた途端、私のなかのさびしさはすっと消えてなくなりました。30年の時を超え、絵本が私とおばあさんをつないでくれたのです。
そのあと、やはり執筆のために見ていた絵本ナビ「みんなの声」で、こんなコメントを見つけました。
のえんどうは、子どもたち(種)を放出したあとは、野に横たわって枯れてしまうのでしょう。大きな母の愛を感じるのは、まさにここです。長男は気づかず聞いていたようですが、それでいいのだと思います。いつか大きくなって、気づく日が来ればいいな……。
(シーアさん/20代ママ/5歳・2歳男児、投稿2011年 ※原文を要約)
タイムカプセルみたいな絵本−−。『のえんどうと100にんのこどもたち』は、そんな作品なのかもしれませんね。
いま私は、居ごこちよかった豆のさやから「パパーン」ととびだし、自分の足で立っています。
雨風にたおれること数知れませんが、さやの思い出はたしかな支え。これがある限り、今日も私は起きあがれます。
てらしま ちはる
1983年名古屋市生まれ。絵本研究家、フリーライター。雑誌やウェブ媒体で絵本関連記事の執筆や選書をするかたわら、東京学芸大学大学院で戦後日本の絵本と絵本関連ワークショップについて研究している。『ボローニャてくてく通信』代表。女子美術大学ほかで特別講師も。日本児童文芸家協会正会員。http://terashimachiharu.com/
写真:©渡邊晃子
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