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子どもの視点でストン!とわかる絵本 〜てらしま家の絵本棚から〜

原爆の日に絵本『おこりじぞう』平和教育は絵本で日常的に

絵本記事を書いたり、絵本について研究の日々を送る、絵本研究家のてらしまちはるさん。その活動の原点には、小さな頃にお母様から読み聞かせてもらったたくさんの絵本があるそうです。子ども時代の一風変わった、けれど本当はどこにでもある絵本体験を、当時の視点で語ってもらいます。「絵本の楽しさって何?」「読み聞かせているとき、子どもは何を思っているの?」そんな大人の疑問を解く、意外なヒントが満載です!

「日常に平和絵本」のススメ

8月6日、9日は「原爆忌」。1945年に広島、長崎に原子爆弾が落とされて、たくさんの人の命と暮らしを奪いました。どんなに時が経っても、風化させてはいけない記憶です。

 

絵本には、原爆や戦争をテーマにしたものがいくつもありますね。今日はそのなかから、子どもにも親しみやすい『おこりじぞう』を取り上げます。

『おこりじぞう』

絵本 おこりじぞう

1945年8月6日。広島の町角に立つわらいじぞうが見たものは、まるで太陽が落ちてきたとしかいいようのない光景だったのです…。作家と語り部と画家が悲しみと怒りをこめて描く入魂の絵本。

【読んであげるなら】(対象年齢表記なし)    

【私が昔読んだ年齢】3歳ごろ~10歳ごろ

描かれるのは、広島での原爆投下です。主人公の女の子は、ある横丁に住んでいます。戦時下とはいえ、そこには人々が行き交い、おじぞうさんがほほえんでいました。

 

でも、そんな日常風景は一瞬にしてかき消されます。強烈な爆発で、町が地獄と化したのです。

 

死んだ人が折り重なり、皮膚の焼けただれた人がさまようなかで、おじぞうさんと女の子にある変化が起こって−−。戦争という人の業を、問いかけつづける作品です。

 

壮絶な物語ですよね。けれど、てらしま家ではほかの絵本と一緒に、ごく日常的に読んでいました。読みはじめは、たしか3歳ごろのこと。

 

そのころの私は、この絵本が原爆の話だとは理解していなかったように思います。でも、戦争がテーマだというのはわかっていました。年の近い主人公に親近感をいだき、彼女をのみこむ無慈悲な運命も、ちゃんとくみとっていたのです。

 

なにより、この絵本の光景は、美しかった。それが、そばに置いても構わないと思う、もっとも大きな理由でした。

 

特に印象的だったのは、風にまじり飛ぶ、真っ赤な火の粉。とてもリアルで、まるで自分がそこに立って熱風をうけているように感じました。

 

きれいだから、余計に怖い。怖いながらも、目をそらすのはどこか違う。

 

『おこりじぞう』という絵本は、読みを重ねるごとに、そんな感情を私にもたらした作品でした。

読み終わったあとは、そっとページを閉じて、いつもの夜に戻ります。母や妹たちと戦争について話し合うことは、特にありませんでした。

 

かえってそれが、戦争の感覚を私の奥にとどまらせたのかも。もちろん、疑似体験ではありますが……。

 

人って、たとえ幼くても、目の前に命題があれば考え始めるものです。母は私たち三姉妹に平和絵本を選び、ほかと同じように読み聞かせることで、「戦争と平和」という命題を投げかけたように思います。

 

絵本で味わった戦争の悲惨さを、いまも抱えつづけて、私は考えます。核兵器が使われたら、私たちはどうなってしまうのか。平和な毎日をつづけるには、どんな選択肢があるのか。

 

30年経っても思いを巡らせているのだから、あれは立派な平和教育だったのでしょう。

「戦争を描いているのに……」どこかふしぎな絵本

大人の感覚では、平和絵本を日ごろから開くことに、どきっとする人もいるかもしれませんね。「なにもそんな怖いのを読まなくたって、楽しい本がいくらでもあるじゃない」なんて声も、聞こえてきそうです。

 

絵本ナビ「みんなの声」でも、大切なテーマだとみなさん理解されているものの、「うちの子にはちょっと早いかも」「少々重たい話では」などのコメントがところどころで見られました。

 

けれど、本当にそうでしょうか? 時として、そんな大人の先入観が、子どもと絵本とのせっかくの出会いをさえぎることだってあるのでは−−?

 

話はちょっと変わりますが、大人になってこの絵本を読むとき、私はいつもふしぎな感覚をおぼえます。

 

戦争の話なのに、ぞっとする場面がさほど多くなく思えるのが、まずふしぎです。そして、なぜか絵本を読むのがきもちいい。物語の流れにひたって、どこまでも広がっていける感覚があります。

 

もし、あなたの手元に『おこりじぞう』があったら、一人のときに開いてみてください。きっと同じように感じるはずです。

心地よいふしぎさの理由は、「戦争を自分の目で見た作者が、時を経てつむぎだした」ところにみいだせる気がします。

 

原作の山口勇子さんは、広島原爆の被爆者。絵の四国五郎さんは、広島出身の戦争経験者です。二人ともおそらく、むごい光景をいくつも見たことでしょう。それをそのまま記すのではなく、自らのなかに沈殿させ、考えて、考えて、表現に昇華させています。

 

戦争というおこないの悲惨さや、無意味さは、しっかり伝えなければいけません。でも、絵本全体を大きく包むぬくもりがなければ、読み手の本当の理解をいざなえません。物語で、絵で、それを体現するには、どうしたらいいのか……。そんな模索のすえに生まれたのが『おこりじぞう』というフィクションなのでしょう。

 

なめらかで体温ある物語が、一冊をまるごと包みこんでいます。かなしみはそのなかに、強烈な一滴のエッセンスとなってさしこまれています。

 

伝えたい「思い」に、表現の「手法」を追いつかせた、プロにしかできない仕事です。だから読むと、あんなふうに感じるんでしょうね。

 

さて、話を戻しましょう。子どもには先入観はありません。彼らは、平和絵本もほかの作品も、同じ一冊として見ています。

 

だから、本人たちがいやがらなければ、定評ある平和ものを毎日の絵本タイムにおりまぜていいと私は思います。本を開く基準は、もちろん「読みたいと思うこと」。ほかの作品と一緒です。

 

平和絵本を大人があまり特別視せず、あたりまえの存在として暮らしに置いてみてください。彼らは、どんなテーマも素直な感覚でつかまえられる、またとない年ごろを生きているのですから。

お風呂で聞いたおじいさんの「あんなもんは、やっちゃあいかん」

おじいさんとてらしま家の三姉妹。手を広げて立っているのが筆者。

生活のなかの平和教育。ほかにもあったかなあと思い出してみると、お風呂でのひとコマが浮かびました。

 

母方の祖父、おじいさんとの思い出です。

 

てらしま家の三姉妹が、幼いころのほとんどを「おばあさんち(母方の祖父母宅)」ですごしたことは、前にも書きましたね(→連載第5回 記事)。ここに暮らすおばあさん、おじいさん、ばあちゃん(曽祖母)は私たちにとって、両親と同じくらい近しい存在でした。

特におじいさんは、近所でも知られた「孫煩悩」な人。日課は、総勢6人の孫を、毎夕お風呂に入れることでした。てらしま家の三姉妹と、いとこの三きょうだいを足して、6人です。

台所でいとこをお風呂に入れるおじいさん(手前)とおばあさん。

町内の会議に出ていても、夕暮れ前になると「孫を風呂に入れにゃいかんで(孫を風呂に入れないといけないから)」と引き上げてきたんだそうな……。

 

55歳で退官するまでは、名古屋の千種警察署長だったおじいさん。いかめしい仕事のイメージと、素顔とのギャップが、まわりの人には意外だったのかもしれません。

さて、ひとたびお風呂が始まると、おじいさんは2時間もこもりっきりです。洗い場で待ち構えていて、孫が1人ずつ入っていくスタイルでした。

 

ついだらだらとテレビを見てしまう私たちに、おばあさんや母は「はよ入らんと、おじいさんがゆでダコになっちゃうがね(早く入らないと、おじいさんがゆでダコになっちゃうじゃないの)」。孫たちはせっつかれて、お風呂場へ。

 

「きたよー、よろしくお願いします」と脱衣所から声をかければ、「はいよぉ、ちーちゃんか?」とおじいさんが迎えてくれます。石鹸をつけたタオルで体を流してもらい、木桶の湯船につかる間、毎日いろんなことを話しました。

お風呂場はこんな感じ(イメージ)。木桶の湯船は、写真よりも背が高かった記憶。まきをくべて焚いていました。

小学校低学年の、夏のある日。入浴前にテレビをつけると、終戦記念日のニュースが流れていました。

 

何気なくそれを眺めてからお風呂場に向かった私は「そういえば、戦争のときに家族はどうしてたんだろう?」と、ふと思いました。おじいさんやおばあさんが戦争世代というのは、なんとなく知っていました(どちらも大正14年生まれです)。

 

じゃあ聞いてみようと、おじいさんが私の背中をごしごしこすってくれているときに切り出しました。「おじいさんて、戦争で生き残ったの?」

 

子どもらしい直球の質問に、おじいさんは「そうだよぉ、生き残っただよ(そうだよ、生き残ったんだよ)」と返事をしました。

 

そして、少し考えてこういいました。「戦争でみーんな、変わっちゃっただわ。あんなもんは、やっちゃあいかんぞぉ(戦争でみんな変わってしまったんだよ。あんなものはやってはいけないぞ)」。

 

話したのは、これっきり。おじいさんはそれ以上、なにもいいませんでした。

 

普段から自分のことはほとんど話さない人だったので、普通といえば普通。けれど私はそのときから、戦争のただなかにいた少年時代のおじいさんを、たびたび想像するようになりました。

 

その想像はやがて、歴史の授業などで耳にする経験のない戦争時代の話を、ぐっと身近に引き寄せて考える土台にもなってくれました。

 

平和絵本を読むけれど議論はしなかった母の伝え方と、ぶっきらぼうなひとことを残したおじいさんの伝え方。どこか似ているのは、2人が実の親子だからでしょう。生活のなかのこうした小さな材料が、私にとっては、平和に思いを馳せるいいきっかけになっていたと感じます。

 

真実のかけらを、子どもにそっと手渡して、あとはゆっくり育てさせる。身近な平和教育としては、案外ききめのあるやり方のようです。

てらしま ちはる

1983年名古屋市生まれ。絵本研究家、フリーライター。雑誌やウェブ媒体で絵本関連記事の執筆や選書をするかたわら、東京学芸大学大学院で戦後日本の絵本と絵本関連ワークショップについて研究している。『ボローニャてくてく通信』代表。女子美術大学ほかで特別講師も。日本児童文芸家協会正会員。http://terashimachiharu.com/

写真:©渡邊晃子

掲載されている情報は公開当時のものです。
絵本ナビ編集部
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