【編集長の気になる1冊】 たとえ数回だったとしても。『アグネスさんとわたし』
小さな頃から、母と私は向き合えばケンカばかり。習いごとをしている時も、勉強をしている時も、ふとしたきっかけで、気がつけば大きな声を出していたりして。同じ方向を向いているはずなのに、考え方や方法でいつもぶつかってしまう。
思春期を通りすぎ、私が将来の夢を追いかけ始めていた時も。二人の嗜好は限りなく近いはずなのに、なぜか少しすれちがう。私の見ている絵や音楽に母は首をかしげ、母が勤しむ趣味の世界を私は素通りする。
それでも、私がすっかり大人になった頃には、お互いに歩みより、興味を持ち、重なっている部分で楽しく会話をするようになっていく。
そして、ある時。
一緒に行った美術館の一枚の大きな絵の前で、母は動かなくなった。
じっと立ちつくし、吸いこまれるようにその絵を凝視している。
……それは、私が10代の頃からずっと好きだった人の絵だ。
「前から知っていたはずなのに、今見るとすごく惹かれる」
急にそんなことを言う。
何がそんなに母の心を捉えたのだろう。どこに惹かれているのだろう。どうして今なのか。私が根ほり葉ほり聞いていくと、母はゆっくりと考えながら一つ一つ答えてくれる。その言葉のどれもが私の中にまっすぐと刺さっていく。
似ているようで、少し違う母と私。
けれど、こんな風に数回だけでも心が響き合った瞬間を今でも忘れない。
おそらく、その時の私たちは、きっとかけがえのない「ともだち」だったのだと思う。
アグネスさんとわたし
海べの町から引っ越して、野原をみわたす丘の上の家で、かあさんと犬のオーホーと一緒に暮らし始めた女の子、キャセレナ。新しい家の外には木が2本、あたり一面にはスノードロップの花が咲き、野原の向こうにある家には、アグネスさんというおばあさんが住んでいる。
「おかあさんから、きいてるわ。
絵をかくのが、だいすきなんでしょう?」
アグネスさんは、庭づくりや物づくりが大好き。自然やアートを愛するふたりはあっという間に仲良くなり、キャセレナは庭のお手伝いをしたり、アグネスさんがつぼを作る様子を眺めたり。アグネスさんが月の満ちかけについて教えてくれると、キャセレナは自分たちクリー族の季節の話をして。そうやって一緒におしゃべりをしながら、ふたりの友情は、季節の移ろいとともに育まれていった。
冬が終わり、やがて再び春が訪れた頃、アグネスさんの体はすっかり弱ってしまっていた。咲きはじめたスノードロップを一緒に見ようと、キャサレナはある方法を思いつき……。
自然に囲まれた、広く静かな風景の中で、感性を響き合わせる女の子と隣の家のおばあさん。心を通わせながら過ごしていくふたりの時間の尊さが、読む人の心の奥底に染みわたってきます。作者は、カナダの先住民クリー族の文化をテーマに数多くの作品を発表している、作家で画家のジュリー・フレット。最後の場面で控えめな光を放つ、クリー語で「カエルの月」と呼ばれる4月の満月の美しさが、いつまでも心に残るのです。
(磯崎園子 絵本ナビ編集長)
二人の心が響き合った瞬間。たとえそれが短い期間だったとしても。数回だけだっとしても。「ともだち」だった時の思い出は、心の中で消えずにずっと残っていってくれるのです。
合わせておすすめ
磯崎 園子(絵本ナビ編集長)
この記事が気に入ったらいいね!しよう ※最近の情報をお届けします |