2歳で英語、早い? 遅い? 絵本で考える外国語早期教育『さんぽのしるし』
絵本記事を書いたり、絵本について研究の日々を送る、絵本研究家のてらしまちはるさん。その活動の原点には、小さな頃にお母様から読み聞かせてもらったたくさんの絵本があるそうです。子ども時代の一風変わった、けれど本当はどこにでもある絵本体験を、当時の視点で語ってもらいます。「絵本の楽しさって何?」「読み聞かせているとき、子どもは何を思っているの?」そんな大人の疑問を解く、意外なヒントが満載です!
いちばん古い記憶を思い出してみると
陽の当たる洋風の小部屋で、2歳の私はいすに腰かけて、絵本を読んでもらっています。自宅じゃなくて、よその家の一室です。
読んでくれるのは、やさしくて、いつも遊んでくれるイギリス人のN先生。絵本は、五味太郎の『さんぽのしるし』でした。
【読んであげるなら】2歳〜
【私が昔読んだ年齢(連載をあわせて)】2歳〜5歳ごろ
これ、私のもっとも古い記憶のひとつなんです。物心つくかつかないかの、境目の思い出。
N先生というのは、私の英語の先生でした。たぶん、はじめての習い事だったんでしょう。もっとも2歳児ですから、教わりに行く感覚もなく、ただ遊んでもらえるのがうれしかったのですが……。
N先生の口からこぼれ出る言葉が、普段使っている言葉と違うとも思っていませんでした。英語も日本語も、大人が自分に語りかけてくる音としては、等しい存在。そんなころの記憶です。
日本語の文章のわきに、ボールペンで英訳が
『さんぽのしるし』では、うさぎさんが自宅を出発して、おでかけする様子が描かれています。途中には、道路標識のような「しるし」がいくつも登場して、これから起こることを知らせてくれます。
五味太郎さんの絵本ですから、文章は独特のリズムを持つシンプルなもの。「うさぎのしるしの うさぎさんのうちから うさぎさん のはらへおでかけ」「すると あるいてゆこう というしるし」という具合に、お話が進みます。
これに、N先生はオリジナルの英訳文をつけて、私に読んでくれました。先ほどの文章には「the rabbit left the house with the rabbit sign and」「went out to the meadow.」と英訳がついています。
絵本に出てくるすべての日本文に、ボールペンで手書きされたN先生の英文が。
日ごろ読んでいる絵本の文章を英訳するアイデアは、N先生からの提案だったそうです。教室に行くたび、英語の歌を歌ったあとに、この絵本を一緒に開きました。
さて、肝心の本人はというと、大人になったいま、これらの英文をまったく覚えていません(笑)。
読んでもらっていたその時、私の興味は、絵という一点にそそがれていました。
画面いっぱいに広がる、あざやかな緑色の原っぱ。うさぎさんが出くわす「しるし」と、その後にくり広げられる意外な展開。
2歳児をとりこにする魅力が、この絵にはめいっぱい詰まっているんですから、無理もありませんよね。
でも、だからといって「絵本での英語教育はムダだ!」という論調にはならないなあ、とも思います。
英語そのものは覚えていなくても、それより大切な周辺のことを、私はN先生との時間から享受したと思うからです。
英語そのものの習得ではなかったけれど
N先生から私が受け取った大切なもの。それは、人と人とがおたがいに相手を思う気持ちをもっていれば、育った場所や年齢などの属性にかかわらず、いい時間を共有できるという無意識の学びでした。
思えば、絵を読むことに夢中だった『さんぽのしるし』では、絵から読み取ったおもしろさを先生に伝えると、彼女からかならず反応が返ってきました。
私は指さしで、N先生は英語でコミュニケーションしていたのでしょうが、言葉がわかる、わからないという以前に「ここにこんなおもしろいことが描いてあるよ、ねえ見てごらんよ」「本当だ。よく見つけたねえ」という気持ちのやりとりが成立することが、私にはうれしかった覚えがあります。
また、N先生がなんども歌って教えてくれた「きらきらぼし」の歌にも、同じことを感じます。
「きらきらぼし」を教室でN先生と口ずさむとき、楽しくて仕方なく、歌詞は音として私の耳に届きました。
ずいぶん大きくなるまで、私は意味も考えずに「♪とぅいんこー とぅいんこー りーるすたー はーわいわんどぅー わっちゅーあー」と教わったとおりに歌っていました。
大学生になって、ふと「この呪文みたいな言葉、どういう意味だ?」と思い、英語の歌詞をたどってみたら「♪Twinkle twinkle little star How I wonder what you are!」とあるじゃありませんか!
口にするとただ楽しかった音が、ちゃんと英文として機能すると知った瞬間は、それは驚きました。(ただし「Like a diamond in the sky!」は「だいかん だいあもん いんざすかい」と微妙にまちがえて歌っていましたけどね。)
N先生と遊んだあの時間は、言葉の意味とか、異国の言語であるとかを超越して、だれかと無心に遊ぶここちよさを、いまも私に伝えてくれるのです。
外国人との仕事を経験して思うこと
話は変わって、ここ数年。私は、海外でも絵本関連のインタビュー取材をするようになりました。
仕事の舞台は、世界中から絵本関係者が集まるイタリア・ボローニャ国際ブックフェアです。インタビュー相手は日本人やイタリア人だけでなく、韓国、中国、アメリカ、インド、アイスランド、アラブ首長国連邦、ハンガリーなどなど、多様な国の多様な人々です。
多くは作家や絵本関係者ですが、街を歩く一般の人に街頭インタビューすることもあります。私には取材で使えるほどの英語力がないので、いつも通訳さんをお願いします。
通訳さんを介しての取材ではありますが、場数を踏んで痛感するのは「言葉が通じても、それだけでは足りない」ということ。
外国の人と円滑なコミュニケーションをはかり、ものごとを進めるには、言葉の壁とともに、習慣や文化の壁をクリアしなくてはいけないんだなあと、よく感じます。
たとえば、話をする際の前提を確認し合う必要があるというのは、日本国内での取材時にはあまりないことです。
ひとつのイラストレーションを話題にするにも、聞き手である私が日本で目にしているイラストレーションの流れと、話し手の属する国での流行や定番はちがいますから、話し手の住む国のスタンダードがどこにあるのかなどを質問しながら、その人が本当に言いたいことを捉えちがえないようにする必要があります。
これ、たしかに骨は折れるんですが、私にとっては楽しい作業。なぜなら会話中、ときにわきあがる「この人はなぜこんなことを言うのかな?」という疑問が、思いもしない角度から解かれるおもしろさがあるからです。
こう思える根底には、『さんぽのしるし』や「きらきらぼし」を楽しんだときの気持ちがある気がします。
外国人、日本人というカテゴライズや、言葉のちがいは二の次。それよりも、だれかと一緒になにかするときには、おたがいが相手に寄り添う姿勢を見せ合うことが、もっとも大切なのではないでしょうか。
ドメスティックな環境で育った私にとって、小学生や中学生のとき、外国といって一番に思いつくのはアメリカやヨーロッパの国々でした。でも、実際にはそれ以外にも星の数ほどの国があって、それぞれの文化や風土に育まれた人がいますよね。
英語はたしかに共通語だけれど、それを使うのはあらゆる国の人たちです。
世界中のすべての国のバックグラウンドを見聞するのは現実的でないと考えると、言語の勉強にくわえて「私はこう考えるけど、あなたには別の背景があるから、ちがった意見をもっているんだね」と、成り立ちの異なる相手を許容する姿勢をつくっておくのも、同じくらい大事なのでしょうね。
絵本を使った外国語教育は、私に、これに気づくためのエッセンスをもたらしてくれました。
※注……2020年のボローニャ国際ブックフェアは、新型コロナウイルス感染症の影響により3月末の開催を見送り、5月4〜7日(現地時間)に延期されました。
てらしま ちはる
1983年名古屋市生まれ。絵本研究家、フリーライター。雑誌やウェブ媒体で絵本関連記事の執筆や選書をするかたわら、東京学芸大学大学院で戦後日本の絵本と絵本関連ワークショップについて研究している。『ボローニャてくてく通信』代表。女子美術大学ほかで特別講師も。日本児童文芸家協会正会員。http://terashimachiharu.com/
写真:©渡邊晃子
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