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絵本ナビスタッフ便り

「平和を祈る絵本」5冊

注目の絵本の中から、「平和を祈る絵本」5冊をピックアップします。

わたしのあかちゃん、その手がどうか銃などにぎりませんように

おかあさんのいのり

童謡や詩を数多く手がける武鹿悦子さんと、『あめふりさんぽ』『はこちゃん』などの絵でファンを増やす江頭路子さんが、いつの時代にも世界共通の“母の祈り”をこめておくる絵本です。

あかちゃんが生まれて、はじめておかあさんになった夜明けのことを、女性はきっと覚えているでしょう。
ちいさい手、ちいさい足に触れ、わたしがこの子を守ってあげなければと思ったことを……。
「いっしょに うみを みようね
 いっしょに かぜのおとを きこうね」
このちいさな子どもが、これから先、世界を愛すべき場所としてすくすく育っていきますように。
おかあさんの祈りのような呼びかけは、つぎの言葉へとつづきます。

「この かわいい ても
いつか おかあさんのてを つつみこむほど
つよく おおきくなるでしょう
その てが
どうか
銃など にぎりませんように」

世界中のたくさんの子どもたちが、銃が日常のそばにある暮らしをしています。
子どもたちから平和な日常を奪わないでほしい……。
ほんとうは、それが多くのおかあさんの願いなのです。
小鳥の声からはじまる朝や、おかあさんがつくる朝の食事。
まどべで月をみるしずかな夜。
そして、この子がやがて大人になり、いっしょに生きる人と出会い、愛するいのちを抱くよろこびを。
どうか奪わないで……子どもたちから。

声にだして読むと、言葉が歌のように、心に直に流れこみます。
子どものしあわせとは何か、同時に、親として生きるしあわせは何かを、親子でいっしょに感じ考えることができる絵本です。

谷川俊太郎の言葉で語られる戦争への思い

せんそうしない

ちょうちょと ちょうちょは せんそうしない
きんぎょと きんぎょも せんそうしない
くじらと くじらは せんそうしない
すずめと かもめは せんそうしない
すみれと ひまわり せんそうしない
・・・

同じ種同士でも、たとえ種が違っても、にんげん以外の地球上の生きものはだれもせんそうしません。その中で、なぜにんげんだけが、にんげんの大人だけが、せんそうをやめられないのでしょうか。

日常の中で、子どもたちに戦争のこと、平和の大切さを伝えていくことはなかなか難しいことかもしれません。事情が複雑すぎていたり、身近に実際の体験者が少なくなっていたり、歴史上の出来事があまりにも残酷なために、どこから、どんなことばで伝えたら良いのか迷ってしまうことも多いのではないかと思います。

けれども本書を読むと、伝えるべきことは、ほんとうにシンプルなことなのだと気づかされます。最小限のことばで語られる詩人の谷川俊太郎さんのひとことひとことは、しっかりとした重さをもって読む人の心にゆっくりとしみこんできます。そのことばとともに、江頭路子さんが描く子どもたちののびやかで生き生きとした姿を見ていると、大人が絶対にまもっていかなければならないのは、ここに描かれているような子どもたちの何気ない日常と曇りのない笑顔なのだと強く感じるのです。

複雑で難しい言葉ばかりが行きかって混乱を呼んでいる今だからこそ、大切なことはシンプルなことだと忘れないためにしっかりと受け止めていきたい1冊です。

広島電鉄の「しき石」が平和のシンボルとなるまで

いのりの石

その日、わたしの知っている朗らかな町は一瞬にして地獄になりました。
8月6日 午前8時15分のことです。
つきさすような光と爆風。何が起きたか分かりません。
ただもう、そこにはわたしが毎日楽しみに眺めていた町の人びとも風景もありませんでした。

そう語るのは、広島電鉄のしき石です。

この絵本は、広島に原爆が投下される以前の様子から、その後、被爆したしき石が「祈りの石」として、後世に残る重要な役割を果たすことになった経緯をまとめた貴重な作品です。

祈りの石の存在を世界共通の「平和希求のシンボル・メッセージ」として、世界中の国々に平和の重要性を再認識してもらえるよう「ひろしま・祈りの石の会」がはじめた活動です。現在では海外100カ国以上に祈りの石が届けられ、アイスランドでは、1985年から毎年、広島、長崎の原爆で亡くなられた人のため灯篭を流して平和を祈り続けているそうです。

まだまだ知らないこと、伝え続けていきたいことがたくさんあります。

絵本の巻末にはその歴史と、海外の方にも説明できるように英訳された本文も記載されています。いろいろな形で、あの日の事実を知ることがとても大切なのだと思います。

 「平和を考える」一冊に加えたい絵本です。

世界的映画監督大島渚初の絵本作品。自らの戦争体験を絵本に

タケノコごはん

パパが小学校に行っていた頃、日本の国は中国と戦争をしていました。
だから遊びも絵本も戦争と関係のあるものばかり、大きくなったら兵隊になり、戦争に行かなくてはならないと教えられていました。

そう語りはじめたのは、世界的映画監督大島渚さん。これは、彼の初めての絵本作品となります。
息子の武さんが小学生の頃、親にこども時代の思い出を作文に書いてもらうという宿題があり、その時に書いた文章なのだそう。日頃から子どもたちに「自分で考えることができる人になってほしい」と言っていたという大島さん。この絵本の内容も、少年時代に起きた出来事や感じたことをシンプルに書いているだけです。

物語は、クラスで一番ケンカの強いさかいくんのことが中心になって進んでいきます。
ケンカが強くても、朗らかで優しい少年だったこと。
だけど兵隊だったお父さんが亡くなってからは、時々弱いものイジメをするようになったこと。
みんなが大好きだったクラスの担任の先生が兵隊に行くことが決まった時、一番涙を流していたのがさかいくんだったこと。

まだ幼かったパパは、その事実が何を物語っているのか、すぐには理解できなかったのかもしれません。戦争というものがどういうものなのか、色々な出来事を経験していきながら、少しずつわかっていったのです。それはきっと、この絵本を読んだ子どもたちも同じでしょう。
「先生、戦争なんかいくなよっ」
そう叫んださかいくんの心の中には、どんな想いが詰まっていたのでしょう。

戦後70年経った今、大島さんが今の子どもたちへ問いかけます。
世代を超えて伝えていかなければならないこと。もう一度考えなくてはならない時代がきています。

「核兵器がなくなってほしいという想いや、平和を想う気持ちは、憎しみを超越するのです」

続・被爆者 70年目の出会い

2005年に刊行された『被爆者 60年目のことば』から10年―。前回インタビューした被爆者の方のその後の10年を伝えるとともに、この10年の間に起きた福島での原発事故による放射線問題についても言及する『続・被爆者 70 年目の出会い』。報道カメラマン会田法行さんによる写真絵本です。

広島・長崎に原爆が投下されてから今年で70年。前作で登場された、13歳の時に被爆して以来、原爆ドームの絵を命をかけて描き続けているという原廣司さん。そのドームの絵はこの10年で1500枚から3000枚を超えるまでとなり、だいぶ足腰が弱くなった今もなお、原爆ドームと向き合う毎日を過ごされています。また24歳の時に原子爆弾で全身にやけどを負い、苦しい人生を送りながらも核兵器の廃絶を訴え続けてきたという片岡津代さん。おしゃべり好きのとても素敵なおばあちゃんという印象があった片岡さんは、想像以上に老いが進み、今回会田さんが訪れた際には話をすることができず、ただ手をにぎり目を見つめるだけの状態となっていました。さらに本書では、福島で起きた原発事故の後、全村避難が決まった飯館村から避難中の佐藤さん一家7人の暮らしについても詳しく紹介されています。飯館村に帰るのか帰らないのか今も答えの出ない葛藤の思いが伝わってきます。

原爆から70年たった今、それぞれのやり方でその苦しい体験と平和への思いを強い意志で語り継いでいる被爆体験者の方々。本を開くまでは辛いことばかりを想像してしまいますが、本書では若い人に平和のバトンをつなぐ、明るい希望も見ることができます。それは広島市の高校が始めた、被爆者の記憶に残る光景を「原爆の絵」として残すというプロジェクト。被爆者と高校生がいっしょになって絵を描くことによって、被爆体験を若い世代へと継承していく試みです。

「核兵器がなくなってほしいという想いや、平和を想う気持ちは、憎しみを超越するのです」
「たとえ世の中から戦争がなくならなくとも、核兵器がなくならなくとも、私たち被爆者はあきらめるわけにはいかないのです」
という被爆者の方の言葉を、本を手にした私たちはどれぐらい自分の中に落とし込んで考えることができるでしょうか。また、被爆者の方々の深みある表情からどれだけのことを想像し、感じとることができるのでしょうか。
『被爆者 60年目のことば』と合わせて、世代を問わず多くの人に手にとってほしい1冊です。

掲載されている情報は公開当時のものです。
絵本ナビ編集部

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