ときには必要「適当力」! 絵本でどう伸ばす?
絵本には、子どもに働きかける様々な力が備わっています。絵本がきっかけで、新しいことにチャレンジする気持ちを持てたり、苦手なことに取り組もうと思えたりもします。子どもたちの世界を楽しく広げてくれる絵本は、子育て中のパパママにとっても、大きな味方になってくれること間違いなしです!
この連載では、とくに「これからの時代に必要とされる力」にフォーカスして、それぞれの力について「絵本でこんなふうにアプローチしてみては?」というご提案をしていきたいと思います。
「たまには適当もいいよね」と子どもたちに伝えられる絵本
連載第6回のテーマは、「適当力」。
社会の中にいる以上、パパママも子どもたちも、いろいろな決まり事やルールの中で生きる必要がありますよね。ですが、ルールに縛られてがまんし続けたり、全てに全力で取り組み続けるのは、子どもだって疲れてしまいます。「適当」というと、あまりイメージはよくないかもしれませんが、必要以上にがんばりつづけるのは無理だよ、ときには「適当」に「ほどほど」も大事だよ、ということを伝えてあげることも大事ではないでしょうか?
今回は、「たまには適当もいいよね」と子どもたちに伝えられる絵本をご紹介します。
昨今、子どもの世界にも、どんどん大人の世界の「効率よく」や、「失敗の原因を追究し」、などという、キチキチとした価値観が入ってきていると感じます。「もう、どうしようもないよねえ」、「しかたないよねえ」と“適当に”流す力もときには自分を守るために必要なんだと、子どもたちが思えるきっかけとなればと思います。
時間にまかせたっていい
近頃いろいろあるけれど、ま、とりあえず 待ちましょう。
「とりあえず」シリーズ第3弾!
近頃いろいろあるけれど
いろんなことが起こるけど
ま、とりあえず まちましょう
待てば海路の日和ありって
いうじゃないですか!
この絵本には、どうしようもない、絶妙な「とりあえず待つ」しかないシチュエーションがたくさん出てきます。まったく麻酔のきかない患者さんが眠るのをひたすら待っていたり、不器用な原始人の火おこしを待っていたり、五味太郎さんならではのユーモラスな描き方に、親子でクスリとしてしまいます。
特に見ていただきたいのは、バットにいちどもボールが当たったことのない子の場面です。監督の「とりあえずまちましょ、あたるまで」という、ひょうひょうとしたセリフがあるのですが、これは子育てにも通じるなあ……と、ぐっときてしまいました。
自分がこの子の親だったり監督であれば、バットの振り方やコツなどをいろいろ教えてしまいそうですが、人からあーだこーだ言われるよりも、自分の力で当たった1回から得るものに勝るものはありません。「当たるまで待つ」というこの動じなさ、やれそうでやれないよなあ、と感じ入りました。子どもからしてみれば「この監督、ちょー適当じゃん」とも思いそうですが、この「待つ」が意外と大事なのよとお話ししてみてはいかがでしょうか?
五味太郎さんは、昨年春のコロナ自粛期間に朝日新聞のインタビューで「子どもたち、今はチャンスだぞ」とメッセージを送られたことも話題になりましたが、作品の中で常に、当たり前に対して「ちょっと考えてみましょうよ」と立ち止まって考えることを伝えてくれる作家さんです。時間薬という言葉もありますが、「待つ」しかないのであれば、イライラあくせくしながら待つよりも、待った後の楽しさを考えながら待ってみればいいじゃない、と、親子で考えさせられる絵本です。
「とりあえず」シリーズ
お天気のせいにしてもいい
とっても暑い日、うまのはいどうさんが、帽子を置き忘れたことから続いていく、のんびり陽気な人々の一日の絵本です。
うまのはいどうさんが、駅のベンチに帽子を置き忘れます。それを見つけたきつねのとりうちくんがかぶってみると、とってもよく似合ったので、そのまま持っていってしまいます。とりうちくんは、その代わりにおふろのカゴを置き忘れ、それをまた誰かが拾い…と続いていきます。
人の置き忘れた帽子をなんとなくかぶってみるのも、もう適当感があふれています。落ち着いて考えてみると、「忘れ物を勝手に持っていっていいの???」と突っ込みどころ満載ですが、出てくる人々がみんな、のんびりしていて適当で陽気で、「ま、いいか」と思わされてしまうゆるさなんです。スズキコージさんの絵が、さらにそのゆるーい雰囲気と陽気さを盛り上げます。
何か問題が起きると、どうしても「なぜそうなったの?」と原因を追究してしまうものですよね。ただ、それを突き止めることって、ときどき人を苦しくさせてしまうこともあります。
例えば、子どもの幼稚園の運動会では毎年リレーがあり、とても盛り上がります。今年はわが子も選手となり走ったのですが、惜しくも負けてしまいました。よほど悔しかったのか、「自分が遅かったからだ」「なんで抜かせなかったんだろう」など、どうしようもないところでぐるぐると考えが回ってしまっていました。まじめなタイプの子は、こうした思考になることが多い気がします。
そんなとき、この絵本のように、残念だったことも「あつさのせい?」と、お天気や、どうしようもないことのせいにして、さらっと後は忘れてしまうという方法もあるよ、と伝えてみるのも良いのではないでしょうか?
受け入れるって、かっこいい
「いいから いいから」が口ぐせのおじいちゃんが、毎回いろいろな人たちのお世話をして、どんな無茶なことも「いいから いいから」精神で受けいれてあげる楽しい絵本です。おじいちゃんは、シリーズそれぞれの巻で、カミナリ様、ゆうれい、貧乏神、忍者、宇宙人……と、そうそうたる皆さんをおもてなししています。
「いいから いいから」というフレーズは、読み聞かせしていると、なんとも優しく、親子で平和な気持ちになれます。最初に読み聞かせていたときには、おじいちゃんのことを、「なんて優しい人なんだろう」と思っていましたが、繰り返し読むうちに、これは「ただ優しいだけではないのではないか」と思うようになりました。もしかしたら、おじいちゃんが、これだけ他の人(?)に優しくできるのは、実は、ほとんどのことがどうでもいいからではないか、と。
どうでもいいというのは悪い意味ではなく、おじいちゃんは、自分と孫の男の子以外のことは、さして気にしない、年齢を経るにつれて守るべきものを最小限にそぎ落とした、とてもかっこいい大人の男ではないのか!と思うのです。
ちょっと言いすぎかもしれませんが(汗)、何事にも動じず、あるがままの状況を受け入れているからこそ、優しくできるのかもしれない……そんな視点で読んで面白がってみるのはいかがでしょう?
「いきあたりばったり」だっていい
「11ぴきのねこ」シリーズは、やりたいことは我慢しない、その場の思いつきでいきあたりばったり暮らしている11ぴきのねこたちのお話です。今回は、その中の1冊『11ぴきのねことあほうどり』をご紹介します。
「とりのまるやきが食べたい!」
ねこたちがコロッケ屋を始めます。けれど毎日食べる売れ残りのコロッケに食傷気味。「鳥の丸焼きが食べたい」と夢見ていると、そこへ一羽のあほうどりが現れます。
11ぴきは、コロッケ屋さんを開店して、せっせとコロッケを作っていましたが、毎日売れ残りを食べているうちに、すっかりコロッケに飽きてしまいます。「とりのまるやきが食べたい!」と思っていたところに、あほうどりがやってくるのですが、まるやきに目がくらんだ11ぴきは、やっぱり何も考えずに、あほうどりの島に乗りこみます。
読んでいると「あーあ、何にも考えてないなあ」と、子どもたちと笑ってしまいますが、この、何にも考えずに行動できるって、なかなかすごいことです。人間はどうしても後先考えてしまう生き物ですが、飛び込んでいかなければ味わえない冒険や面白さってありますよね? この絵本は特に、結局、特別いいこともなかったけれど特別悪いことにもならなかったというオチが、「いきあたりばったり」のハードルを下げてみせてくれるように思います。考えすぎていては何もできません。「ときにはこんな風に飛び込むのもありかな」と子どもたちに一つの選択肢として頭の片隅に置いておいてもらうのもよいのではないでしょうか。(親は胃が痛いですが……。)
「11ぴきのねこ」シリーズ
適当に生きたっていい!
この絵本は、適当という部分もさることながら、破天荒な内容に笑ってしまう絵本です。朝起きるのが苦手で昼過ぎまで寝てしまった“ほげたさん”が、ようやく会社に行くため電車に乗ったら反対方向で、山の中まで行ってしまうのですが、仕方がないから今日は「山の会社」に行こう、と勝手に山の中で仕事を始めてしまいます。
ほげたさんが、もう適当で笑ってしまうのですが、昼過ぎまで寝ているし、トイレのスリッパをはいたまま家を出てしまうし、メガネも仕事のカバンも忘れて電車に乗っているのです。そして、いっしょに働く相棒・ほいさくくんも山にやってきて、ついには社長もやってきて、会社のみんなが山の会社に移動してきて……。みんな自由すぎて気持ちがよくて、「いいなあ」とため息が出てしまいます。
一般的には、昼過ぎまで寝ている時点で「ダメだろう」となってしまいますが、ほげたさんの場合は奥さんも優しくおむすびを用意してくれているし、社長もまったく怒らないどころか「山の会社もいいよね」となってしまったり、とても優しい世界なんです。
ただ、私にも覚えがありますが、あるとき突然学校に行きたくなくて、いつもの駅で降りずに終点まで行って海を見に行ってしまったり、毎日同じことを繰り返す生活をしていると、突然リセットしたくなってしまう気持ちは、いろいろな人が持っていると思います。今の子どもは、本当に忙しくて、こなさなければいけないことや行かなければいけないところがたくさんあって大変です。そして、真面目な子ほど、それができないと罪悪感や劣等感を感じてしまっていると思います。そんな毎日にくたびれてしまったときこそ、子どもたちに、この絵本の“適当でもいいよね!”感を楽しんでほしいなと思います。
さいごに
子どもたちを見ていると、本当にいろんなタイプの子がいるなあと思いますが、基本的にはみんな真面目で、パパママや周りの大人に喜んでもらうことが大好きです。園でも習い事でもお家でも、期待に応えようと小さなうちからがんばっています。ただ、昔以上に求められる内容が多くて、とても忙しそうです。
我が家の上の子は、真面目ではありますが、そこにせっかちと完璧主義がプラスされた性格で、毎日何かしないと気が済まず、やったことに完璧さを求めてしまう日々です。そして、「もしできなかったらどうしよう……」と、夜に不安で泣いてしまうこともあります。私は、いつか気持ちがプツンと切れてしまうのではないかしら?とハラハラして見ています。
そんな上の子は、『?あつさのせい?』と『やまのかいしゃ』に大ハマりし、けっこうな頻度で読んでいます。そして、「ちょーテキトー」と笑っています。そのゆるーい優しい世界にほっとしつつ、言い方は悪いですが、「こんなでもいいんだ、ぼくよりダメな大人もいるんだ」と安心しているのかもしれません。ただ、個人的には、そうした楽しみ方でもよいのではないかと思っています。どんな形であっても、子どもたちに安心を与えてくれる絵本の存在はすばらしく、大変ありがたいものです。
今回ご紹介した絵本は、自分の大事なものにだけ一生懸命であれば、あとは、もっと適当でいい、もっと自由でいい、そうしたことを伝えてくれる絵本です。ぜひ、お子さんとご一緒に読んでみてください。
徳永真紀(とくながまき)
児童書専門出版社にて絵本、読み物、紙芝居などの編集を行う。現在はフリーランスの児童書編集者。児童書制作グループ「らいおん」の一員として“らいおんbooks”という絵本レーベルの活動も行っている。6歳と3歳の男児の母。
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