絵本で育む「疑う力」
絵本には、子どもに働きかける様々な力が備わっています。絵本がきっかけで、新しいことにチャレンジする気持ちを持てたり、苦手なことに取り組もうと思えたりもします。子どもたちの世界を楽しく広げてくれる絵本は、子育て中のパパママにとっても、大きな味方になってくれること間違いなしです!
この連載では、とくに「これからの時代に必要とされる力」にフォーカスして、それぞれの力について「絵本でこんなふうにアプローチしてみては?」というご提案をしていきたいと思います。
生成AI時代に必要な「疑う力」
前回は、生成AI時代に必要となる力として「問いを立てる力」をテーマにいたしましたが、それに関連して今回は「疑う力」をご提案したいと思います。
- 2023.09.14絵本で育む「問いを立てる力」
疑うとは、その物事に対し判断するため「それは本当のことかな?」と調べていく過程のことです。いろいろなところで言われていますがChatGPTなどは、便利な反面、至極”もっともらしい嘘をつく”ことがあるんですよね。人はそれを見抜き判断しなければいけません。
「AIが言っていることは、正しいのか、信じていいのか」だけでなく、「これは誰か人間が考えたものなのか、AIが考え出したものなのか」
「正しいとしても、適切であるのかどうか」と、いろいろな方向で疑ってみることが、自分にとってよりよい判断をすることにつながります。
疑わないということは、自分の頭を使わないで済むのでとても楽な方法です。ですが、これだけ多種多様な選択がある世の中で、自分の頭を使わずに鵜呑みにしていくことは、その人にとってよりよい道につながるのでしょうか?
素直ももちろん大事です。ですが、道を選ぶどころか道なき道を進むことになる子どもたちには「疑ってみる」という姿勢を伝えることも大切なのではないでしょうか?
今回は、それらを伝える絵本から「疑う姿勢ってどういうこと? 疑いは何につながる?」ということを考えていきたいと思います。
前提を疑え!
「これってこういうものだよね」と思っているもの、たくさんあると思います。しかし、その前提はそもそも正しいのでしょうか? そんな前提を疑ってかかる絵本をご紹介します。
主人公は、フンをころがすのが大好きなフンコロガシ。ですが、周りの評価は「フンを ころがすなんて へんなやつだな」
とさんざん。フンコロガシは、大体フンコロガシっていう名前がいけないんだと腹を立てて、フンをひきずって「フンひきずり」、フンを持ち上げて「フンもちあげ」などなどいろいろ試みたあげく、「そうだ! フンをころがさないんだから『フンころがさず』これで いこう!」
と、ついにはフンを置いていくことを決意します。フンをころがさなくなったフンコロガシは……というお話です。
フンをころがすからこその「フンコロガシ」だったはずですが、自らのアイデンティティを疑ってかかったのですね。フンをころがさなくなったフンコロガシは、自由をかみしめます。そして、一度フンから離れてみたことで、自分自身の“フン”への思いを再確認していくのです。
フンコロガシが主人公の絵本って、珍しいですよね。その「フンをころがす」というおかしさに着目し、当たり前の自分を疑ってみることで自分を再発見できることを伝えてくれる、ゆるく不思議な哲学絵本です。
疑いが生み出すもの
みなさん、テレビを見ながらニュースや話題に対して「あーでもないこーでもない」と言ったりしませんか? 「あれはちょっと違うんだよ」とか言いながらにわか評論家になるのって楽しいですよね。時には「この人、こんなこと言うんだ」という会話も出てきて、あーだこーだは止まりません。そんなニヤニヤ感を想い起こさせるお話が、こちら。
とあるキッチンに住む“たまご”が、さんぽをしていると「いちじくのおはなしかい」というはり紙を見つけました。マシュマロとともに向かうと、くだものかごの前はおおにぎわい。ふきんがめくれ、いちじくが姿を現すと、
「こよい はなすは、まことのぼうけんものがたり。どうぞ ごゆるりと おたのしみください。」
と口調は仰々しく、ろうそくのあかりに浮かぶいちじくの姿も怪しく、その独特のたたずまいにキッチンのみんなはあっという間にいちじくの話のとりことなっていきます。そうしてお話会は続いていきますが、キッチンのみんなの中で一人ななめ目線のマシュマロだけが疑いを深めます。そしてあるきっかけで、「ひょっとして?」と全員に疑いがふきだしていくのです。疑いが巻き起こった後どうなったかというと?
最初、キッチンのみんなは疑いもなくキラキラといちじくの話を聞いていましたが、疑いをもったところから、それぞれの意見がわきだしてきます。そしていつのまにか、いっぱしのいちじく評論家となってしまったのです。
いちじくがまた面白く、疑い始めたみんなに向かって、けれん味たっぷりにこう言い放ちます。
「このはなしが うそか まことか。そんなことは ささいなことです。それよりも、おはなしをきいて あなたがたの こころが はずんだか。だいじなのは そこなのです!」
堂々たるふるまいは稀代のトリックスターの風格で圧巻です。
「わあすごい!」と思うだけではなく、「それってどうなの?」と疑ってみることからたくさんの議論が巻き起こる、それが対話を生んでいく、ということがよく分かる、シニカルで面白い物語です。前作の『たまごのはなし』の“たまご”が、いちじくについて語るという形でお話しが進みますが、このたまごも考えと行動がなかなかに突拍子もなく周囲をかき回していく存在であり、キッチン生活を怪しく描くしおたにまみこさんの物語はなんとも味わい深い面白さです。
私もいちじくのようなトリックスターに会って、「ああでもない、こうでもない」と、わやわや言ってみたいものです。
「しおたに まみこの絵童話」シリーズ
疑いは、探究につながる
なにかに夢中になると様々な疑問が生まれます。そして、「一般的にはそういわれているけれど本当なのか?」と疑い、疑問を深く掘っていくことが探究になり発見を導きます。
そうした過程を私たちに示してくれる絵本がこちらです。
色々な形の鳥の巣。どうしてこんな形をしているのだろう?この疑問が、恐竜から鳥への進化のふしぎにせまる、鍵となったのでした。約130種の鳥が登場。恐竜も鳥も人間も、必死に命を守り育ててきたことが伝わる、感動大作です。
作者の鈴木まもるさんは、数々の名作絵本を作りながらも、野山でいろいろな形の鳥の巣に出会ったことでその面白さに夢中となり、独学で鳥の巣の研究を行われています。
恐竜は今から約6600万年前に絶滅したとされています。ですが、恐竜は完全に絶滅したわけではありません。生き残った恐竜の中でも羽毛の生えた獣脚類という恐竜の種類から、現在の鳥に進化したことがわかっています。
鈴木さんは、あるときキムネコウヨウジャクという鳥の巣を見て不思議に思います。この巣の形は、おなかに赤ちゃんがいるお母さんのおなかとそっくりなのです。
「どうして、キムネコウヨウジャクは、こんな形の巣をつくるようになったのか……」
この疑問が、鈴木さんに恐竜から鳥への進化を考えさせるきっかけになったのです。
そして、飛べるようになった恐竜がなぜ生き残ることができたのか、卵とヒナを安全に育てることのできる鳥の巣を作れることが、どう彼らを絶滅から救ったのか、鳥の巣の形状を研究することで鈴木さんは大きな探究を進めていくことになるのです。
恐竜研究は、まだまだ様々な謎がありますが、その謎が人々の疑問を生み想像を生み出してきました。『のび太と竜の騎士』のように、もしかしたら地底で恐竜たちは生き延びていないだろうか、『恐竜たちの大脱出』のように宇宙の違う星に脱出してはいないだろうか? 疑いは探究となり想像のロマンともなる、そんなことを教えてくれる壮大な絵本です。
決めつけや思いこみを疑う姿勢とは
お次は視点を変えて、「では、疑うためにはどんな姿勢が必要なのか」、ポイントを教えてくれる本をご紹介します。
子どもも大人も誰もがバイアスの影響を受けて生きています。
その影響からは逃れることはできませんが、自分の中にバイアスがあることを受け入れることで、うまくつきあっていくことは可能です。
なぜ人は他人の誰かに対して、何かの事象に対して、思い込みや決めつけをついしてしまうのか、先入観を抱いてしまうのか。
そのことを知り、考えることで、人生の選択の幅は広がっていきます。
バイアスとは英語で「偏り」という意味のことで、「先入観、決めつけ、思いこみ」という意味で使われています。人は知らず知らずのうちにバイアスに影響されています。「老人はパソコンが使えない」「女性のほうが料理が得意だ」
などもバイアスに影響された先入観、思いこみです。この本では、様々なバイアスについて事例が載っており、そうしたバイアスによって疑うこともなく信じてしまうことの危険性を教えてくれます。
例えば、「確証性バイアス」というものがあります。新型コロナの流行当初、「早く収束してほしい」と考える人たちは自分に都合のいい情報ばかりを集め都合の悪い情報を遠ざけようとしました。こうした傾向を確証性バイアスといいます。都合の悪い情報を早めに知り間違いに気づくことができれば、問題に対処することができますが、無視していると問題はどんどん大きくなっていきます。
また、テレビのニュースなどで事件に対し「あんな犯罪を起こすような人には見えなかった」などの証言がよくありますよね。これは「ハロー効果」といって、見た目の印象だけで「きっとこんな人に違いない」と思いこむバイアスのことです。
このように、私たちの中には無意識のうちにバイアスがひそんでいます。とくに、今の時代はネットに多くの情報があります。「2ちゃんねる」創設者で実業家のひろゆきさんが「うそはうそであると見抜ける人でないとネットを使うのは難しい」という名言をかつて残しておりますが、そもそも情報とは誰かの意図が入り込んでいるものです。私たちは自分の中のバイアスを意識し、目の前の情報をまず疑っていく、そうすることでようやく情報をよりよく活用できます。そのための「疑ってみる姿勢」のあらゆる知識をわかりやすく教えてくれ、子どもだけでなく大人も必読な内容です。
常識を疑い道を切り開く
さいごに、「あなたには無理だ」という世間の思いこみをうちやぶって唯一無二の人生を切り開いたというノンフィクション絵本をご紹介します。
グラミー賞受賞の打楽器奏者エヴェリン・グレニーは、音を全身で感じ、自由に演奏する。12歳で聴力をほぼ失ってから打楽器と出会い、困難を克服し自分らしく生きるエヴェリンの半生を色鮮やかに描く伝記。多様性を考える絵本。
エヴェリンは音楽が大好きな女の子。音楽に囲まれて生活していましたが、耳に痛みを感じます。そして、耳の神経に問題が見つかり、音楽を続けることができないと宣告されます。ですが、エヴェリンは、音楽をあきらめたくないし、自分が行きたい学校に通いたいと願います。そんなあるとき、ほとんど聞こえなくなっていたエヴェリンの耳が打楽器の音をとらえたのです。
「わたしがやりたいのは、これだ!」
打楽器のレッスンを受けるようになったエヴェリンは、全身を使って音を感じるようになりました。そして、「耳がきこえないのに音楽家をめざすなんて無理だ」という意見をふりきり、ロンドンにある英国王立音楽院のオーディションを受けます。そして、靴を脱ぎ、全身で音を感じ演奏するエヴェリンは認められ、音楽院に入学するのです。その後も打楽器の大きなコンクールで優勝し、ソロで演奏する打楽器奏者となりロンドンオリンピックの開会式で演奏するほど活躍しています。
エヴェリンは、あとがきでこうメッセージを送っています。
「あなたがわたしの物語から力を得て、自分の道を切りひらく勇気がもてますように。」
AIは常識をくつがえすことはできません。今ある道を選ぶことしかできません。「こんなことってできないでしょう」という常識を疑って、道を切り開けるのは人間だけなのです。
さいごに
「疑う」ということに、ちょっとネガティブな印象ってないでしょうか? 私なぞは、それこそ「素直さが大事」「謙虚さが大事」ということを叩き込まれてきた世代で、もちろんそれらは今でもとても大事なことなのですが、そこに加えて現代は「疑う」という姿勢も重要になってきているなと感じます。多様化した世の中で生き方も千差万別になっています。その人にとっては大切なものでも別の人にとっては意味がない、そうしたことが多くなっているいま、「それは自分にとって必要かどうか」あらゆるものを吟味することが必然となっているからです。
また、「わー、すごーい、そうなんだー」と思いこんで受け入れるより、「ちょっとあれってどうなの?」とななめ目線で疑った方が、批判的意識により考えがぶわーっと沸きだして結果としてよりよい結果につながったということもありませんか? 最近日本でもディベート教育が行われるようになりましたが、フランスでは小学校から「ある情報が事実なのか、主観だけで論じられているものなのか」を区別したり、批判精神を養うために哲学討論をしたりする教育が行われているそうです。
「疑う」ということは、「だまされないぞ」というネガティブな防御というだけでなく、これからは、AIに正しい判断を教えたり、よりよい探究の糸口になったり、子どもたちの未来を切り開く大切な姿勢となってきます。
これらの絵本から、ぜひポジティブな「疑う力」を考えてみてください。
徳永真紀(とくながまき)
児童書専門出版社にて絵本、読み物、紙芝居などの編集を行う。現在はフリーランスの児童書編集者。児童書制作グループ「らいおん」の一員として“らいおんbooks”という絵本レーベルの活動も行っている。7歳と5歳の男児の母。
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