ロングセラー絵本『ゆかいなゆうびんやさん』が世代を超えて愛され続けるわけは?
絵本記事を書いたり、絵本について研究の日々を送る、絵本研究家のてらしまちはるさん。その活動の原点には、小さな頃にお母様から読み聞かせてもらったたくさんの絵本があるそうです。子ども時代の一風変わった、けれど本当はどこにでもある絵本体験を、当時の視点で語ってもらいます。「絵本の楽しさって何?」「読み聞かせているとき、子どもは何を思っているの?」そんな大人の疑問を解く、意外なヒントが満載です!
郵便の季節にぴったりの一冊
あなたの年明けいちばんの楽しみって、なんですか?
おせちをつっつくこと、初詣に出向くこと……など、お正月には期間限定のいろんな楽しみがありますよね。年賀状を受け取るのも、待ち遠しいことのひとつという人、いらっしゃるのではないでしょうか。
遅く起きた元旦に、郵便ポストをのぞいて葉書の束を見つけるのも気分が上がるし、まだポストが空っぽだったら、窓の外をちらちらうかがって確認するのも楽しい。家族全員分がひとくくりになったのを、自分の分、家族の分、とより分けるのも、しあわせな時間です。
私自身は、数年前にこちらから年賀状を出すのをやめにしましたが、それでもやっぱり、あの感覚は好きなままでいます。
郵便物に一年でもっともスポットライトが当たる、といっても過言ではないお正月。そんな季節にぴったりの絵本を、紹介しましょう。
『ゆかいなゆうびんやさん』
英国発、愉快なお手紙仕掛け絵本。英米では、大人からも子供からも絶賛の人気作品です。その秘密は、手紙の受け取り人がすべておとぎの国の主人公たちというところ。『3匹のくま』『ヘンゼルとグレーテル』『ジャックと豆の木』『シンデレラ姫』『赤ずきんちゃん(3匹のこぶた)』……と、英語文化に育った人であれば誰もが懐かしむお話の登場人物たちが、リズム感あふれる文章と共に登場します。
読者をうならせる仕掛けの工夫は、各ページがポケットになっていて、実際にその中から手紙を取り出すことができるようになっているところ。しかも、それぞれの手紙の内容が、招待状あり、広告あり、勧誘あり、献本送付、勧告状、お誕生カード……と物語の背景に合わせてさまざまです。趣向を凝らした演出は、細部のイラストや手紙の文面からも十分伝わってきます。イラストの親しみやすさも、もちろん見逃せません。お誕生パーティのページがあるので、お誕生日プレゼントにも向く一冊です。
作者は共に教員学校に学んだ英国人夫婦。その経験が、子供心をくすぐる多角的視点の発想と結びついたのでしょう。配達先でお茶を楽しむ郵便屋さんの姿には、英国らしさが表れています。
――(ブラウンあすか)
【読んであげるなら】(対象年齢表記なし)
【私が昔読んだ年齢(連載をあわせて)】6歳〜14歳、いまもたまに
ロングセラーの人気しかけ絵本です。知っている方もきっと多いですよね。一冊を通して語られるのは、ゆうびんやさんののんびりとした一日。
彼がお便りを届けてまわる物語の途中とちゅうに、封筒(つまり、配達物そのもの)が、しかけとなって差しはさまれます。くまの一家への誕生日パーティー招待状、魔女宛てのダイレクトメール、ジャックが大男に宛てた旅の便りと、バラエティゆたかな郵便物を、読者はぜんぶ読めてしまうのです。
これ、好きだったなあ! てらしま家の絵本棚にいつからあったのか、はっきりとは覚えていません。が、小学校入学前後には手にしていた記憶があります。まんなかの妹としょっちゅう開いていました。
ほかの絵本に比べて、私が『ゆかいなゆうびんやさん』を読んでいた時期は、かなり長かったように思います。
一冊と長くつきあうと、成長段階ごとに感じ方が多様になるもの。この絵本への「大好き」な気持ちは、年ごとに広く深くなっていきました。
この気持ち、複雑で、なんだかひとことでは言い表せないぞ……。
そう思ったとき、絵本ナビ「みんなの声」にヒントがあるかも!とひらめいて、みなさんの声をのぞいてみました。
あ、この方のコメントは、子どものころに読んでいた感覚にだいぶ近い気がします。
子どもたちは、絵本の中のお手紙が大好きでした。何度も出したりしまったり、自分に届いたお手紙のように楽しんでいましたよ。
(ぐらんまむさん/50代、投稿2012年 ※原文から抜粋、校正)
そうそう、自分に来た手紙だよ、といううれしさがあるんですよね。一度読んでも、また気になって取り出して。
小さな子にとっては、自分に直接郵便が来るという状況がまだほとんどありませんから、幼いころには大人をまねっこするほこらしさも、ちょっと混じっていたような。
そうかと思えば、こちらの方の言い分にも大きくうなずく自分がいました。
他人の手紙をのぞき見するわくわく感。それも、自分の手を使って!
(モサムネさん/20代ママ/3歳男児、投稿2011年 ※原文から抜粋、校正)
うん、これこれ。封を解いて読んでいるのは、ぜんぶ、だれかのもとに届いた手紙ですもんね(笑)。
こう言うと、さっき「自分に来た手紙」と思っていたことと矛盾するようですが、そうでもないんですよ。子どもというのは絵本を読むとき、空想と現実の間を行ったり来たりします。だから、ダブルスタンダード的な状況も、けっしておかしくないのです。
モサムネさんのいう、自分の手で他人の手紙の封を開ける背徳感は、ひとさじのスパイスのごとく、この絵本のおもしろさをよく引き立てていました。
しかけと物語の配分が奇跡的です
この絵本のスゴイところって「しかけ絵本なのに、しかけ絵本と感じさせないところ」だと思うんです。
物語の流れのなかに、しかけがそっと配置されていること。それこそが、『ゆかいなゆうびんやさん』が名作とよばれる理由でしょう。
実はしかけって、絵本にとっては、諸刃のつるぎです。
というのは、あまりにしかけが目立ちすぎてしまうと、肝心の物語の内容が二の次になってしまうからです。
絵本の楽しみが「イメージの広がりを味わうこと」だとすれば、しかけは物語をかげで支えるくらいの立ち位置でいるのが理想だと、私は思います。
逆に、読み手の目がしかけばかりにいく作品は、物語絵本としては読みづらいものになるでしょう。作り手の絶妙なバランス感覚が問われるポイントです。
(少し前に流行ったロバート・サブダのしかけ絵本群なんかは、例外的。そういう前提があると作者が理解した上で、あえて圧倒的な作りのスゴさを見せてくるところが、新境地を開いた理由だったのでは。……マニアック?)
『ゆかいなゆうびんやさん』はその点、筋書きがまずもって強く、おもしろさにすっと引きこまれます。一方で、しかけは手助けとして立ちまわっています。
筋書きの強さが、しかけのインパクトに勝っていること。それでいて、しかけを手にする愉快さを存分にあじわわせてくれること。
これらが奇跡的な配分で混ぜ合わされたのが『ゆかいなゆうびんやさん』という一冊です。
長く愛されるのが、よくわかりますね。
子どもだけができる、しあわせな読み方がある
もうひとつ、ああ、これこれと思った要素がありました。それは、この絵本が、西洋の有名なおとぎ話や童話などのパロディだということです。
たとえば、くまの一家として絵本に出てくるのは、童話「3びきのくま」の登場人物です。一家に届いた手紙の内容も、原話のエピソードの後日談として語られます。お便りの受け取り手として登場する人物は、すべてこの調子なんです。
でも、小さなころから『ゆかいなゆうびんやさん』に親しんでいた私が、このことに気づいたのは、実はけっこう大人になってからでした。そう、ずっとパロディと意識せずに読んでいたのです。
原話を知っているお話もいくつかあるのに、ふしぎだなあ。そう思う反面、子どもだからこそできた、しあわせな読み方だったとも思うのです。
もし私が成長後にこの絵本に出会っていたら、きっとはじめて開いたときに「へえ、有名な話のパロディなのね。おもしろいじゃん」とか「手紙がしかけになって入っているんだね」とまっさきに感じたことでしょう。
物語の内容より前に「パロディである」「しかけ絵本である」という情報が頭に入ってくるのです。
これは、多くの大人の一般的な読み方でもあります。
大人は、大人として生きるなかで、無意識にカテゴリ分けの訓練を積んでいます。目の前にあらわれた「よくわからないもの」に、自分なりの仮説をあてがって、すばやく対処しようとするのです。
絵本も、開いてみなければなにが描いてあるか不明な点では、よくわからないものの類いでしょう。だから、はじめて読む絵本を大人がカテゴライズしながら理解していくのは、自然なことです。
けれど、小さな子どもは、まだ訓練の前段階。よくわからないものを、よくわからないまま、素直に受け止めます。
だから、この絵本が伝えようとする本質を、一度読んだだけですんなりと理解し、楽しめるのです。
昔の私がパロディそっちのけで『ゆかいなゆうびんやさん』を読んでいられたのは、おそらくこういう理屈でした。
逆にいえば、元ネタを知らなくても問題なく楽しめるというのは、絵本のあるべき姿でもありますよね。
この一冊、どの角度から見ても、本当によくできているんです。
てらしま ちはる
1983年名古屋市生まれ。絵本研究家、フリーライター。雑誌やウェブ媒体で絵本関連記事の執筆や選書をするかたわら、東京学芸大学大学院で戦後日本の絵本と絵本関連ワークショップについて研究している。『ボローニャてくてく通信』代表。女子美術大学ほかで特別講師も。日本児童文芸家協会正会員。http://terashimachiharu.com/
写真:©渡邊晃子
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